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「ピッコロが死ぬと神様も死ぬ」からわかる原理原則の話

ドラゴンボールには、ピッコロ大魔王というナメック星人のやばい奴が登場する。
登場時には、ピッコロの手下にクリリンが殺されて、悟空も倒され、その強さに作中のキャラたちはもちろん、読者も恐怖のどん底に落とされた。
 
そんなピッコロ大魔王には瓜二つのナメック星人がいる。
それが神様だ。

神様は、自分はかつてピッコロ大魔王と同一体だったのが、分離した存在だと説明する。
正義の心でできた神様と悪の心でできたピッコロ大魔王という、両極に立つ存在なのだ。

分離した今でも、神様とピッコロ大魔王は一心同体のようなもので、どちらか一方が死ねばもう一方も死んでしまうという、運命共同体なのだ。

神様が死ぬとドラゴンボールが使えなくなってしまうという縛りプレイのため、魔封波という禁断の技を使って、ピッコロ大魔王だけを封じ込めようとする。
これはことごとく失敗して、亀仙人と天津飯が死んで、神様が逆に封じ込められちゃうったりと、とにかくなんとも物凄いピンチに陥るのがピッコロ大魔王編なのだ。

今回は、神様とピッコロ大魔王の存在の仕方に焦点を当てたい。
この相反する両極の存在が、一方が存在しないともう一方も存在できないという、この世界の原理原則に基づいているところが物凄く面白いところなのだ。

例えば、「右」というものは「左」がないと存在できない。
「上」というのも「下」がないと上にはなれない。

「正義」というのは「悪」がいないと存在できない。
だから、自分の正義を主張したり、自分が正義の味方になりたい奴は、悪を生み出す。
悪者がいないと正義の味方はできないのだから仕方がないのだが、ある人が正義の味方になりたいがために生み出された悪者は果たして本当に悪者なのだろうか?

実はこういった構造は社会のありとあらゆるところでみられる。
裕福な人がいるためには貧しい人が必要で、その逆もまた然り。
賢い人と馬鹿な人は表裏一体で、どちらかが消えればもう一方も存在できなくなってしまうのだ。

なぜか?
100円玉でもいいからコインを見てほしい。
コインには表も裏もある。
表も裏もどちらも同じコインであることは間違いない。
では、コインの裏だけを消すことはできるだろうか?
コインの裏を消そうとすれば、表まで消してしまうことになるだろう。

これが原理原則なのである。

いわゆる一元論というものだ。
ドラゴンボールにはこういった原理原則がちゃんと組み込まれている。
それも名作を名作たらしめる所以だろう。

またそんな原理原則も紹介していこう。

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