[短編小説] コーヒー

お湯をわかす。ドリッパーに粉を入れる。ケトルからお湯を少しずつ注ぐ。ポタポタと琥珀色の雫が垂れる。
面白いな、と思って見ていた。なぜ?というような顔を彼女がした。
「あなた、コーヒー飲むの初めてなの?」
うん、と正直に答えると彼女は笑った。
「あなた、とてもいかつい顔してるから、意外だわ。びっくりした。よし、それじゃあ大人の味ってやつを教えてあげないとね」
彼女の淹れてくれたコーヒーは正直ものすごく苦くておいしいもなにもなかったけど、それが、彼女が自分のために淹れてくれた初めての飲み物だったので俺はその苦い味が大好きになった。
初めて近所の喫茶店とやらにコーヒー豆を買いに行った日のことは忘れない。苦いのをください、という俺に物腰柔らかな店主はマンデリンという豆をすすめてくれた。店から出た後しばらくはジャケットにコーヒーの香りが染み付いていて、俺は少しだけ自分が文化人になった気がした。
「よし、今度は俺が君にコーヒーを淹れてやろう」
そう言って自分の淹れたコーヒーを飲んでもらった時の彼女の顔を、いつか死ぬ前に思い出せたらいいなって思う。

「行くの?」
窓から星明かりが差していた。おとぎ話にでも出てきそうな星降る夜だった。
「うん」
「行くっていうのね」
「うん」
少し黙った後俺は言った。
「助けてもらった借りは返さなきゃいけないから」
「そう。あなたを傷つけた男でも」
「あいつにとってはそれが俺への精一杯だったんだって思う」
「そう」
「卑怯ものは卑怯ものなりの立場に収まらなきゃ」
「少なくとも私にとってのあなたは卑怯ものではなかったわ」
「それでもね」
空気が肌寒いので俺はまたコーヒーを淹れて、二人分のマグカップをテーブルにのせた。彼女がマグカップに口をつける。
「私とあなた、この十年間、ずっと同じコーヒーを飲んできたわ」
「つまり?」
「あなたと私の血には同じコーヒーが染み付いてる」
「…………」
「あなたと私は強くつながってる。いつかまた私はあなたに会える」
俺は彼女をそっと抱き締めた。白い傷だらけの頬の温かみが肩に伝わった。
 体を離して、ぐっとコーヒーを飲み干した。腸に染み渡る熱くて苦い液体。俺と彼女の時間が凝縮された液体。俺は今からそれをやつの顔と刃にぶちまけにいってやるのだ。
ふっと彼女のコーヒーの味がする唇に自分のそれを重ねて、星みたいにきらきら光る目を見てドアに手を掛けた。
「じゃあな。行ってくる」
俺は彼女に背を向けた。


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