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ダメ人間の成り立ち

最近、マッスル北村氏やウメハラ氏の名言や著書に触れる機会があり、自分のなりふりを考え直している。
彼らは自分のやりたいことに真剣に取り組み結果を残している。
ストイックという言葉では足りないくらい努力をしている。
その生き様に、まんまと感化されてしまったわけだ。

自分は、本気を出して何かに取り組んだことがあまりなく、時々取り組もうとしては色々と理由をつけて途中で諦めてしまうことが多い。
その傾向は割と幼い頃からあり、よくないことに本気で何かをしている人間を冷めた目でバカにしている節さえある。
真面目な人を見ては、おちゃらけて茶化すような面もある。

それってなぜだろうと考えた時、小学生の頃の記憶が蘇った。
小学生の自分はバカがつくほど真面目で、授業中に騒ぐ人間がいれば注意するようなタイプだった。
宿題も絶対に忘れないし、給食を友人に多めに盛り付けたりすることもない。
先生の言いつけはもちろん守るし、困っている人がいたら手を差し伸べた。
その真面目さは周囲の人間からどう捉えられていたのか分からない。
褒められたことはなかった。
ただ、注意した人間から反感を買ったり、真面目すぎると揶揄されることは多かった。
そして僕は心が弱かった。
真面目にしても誰からも認めてもらえないなら、辛いだけだしやめてしまおうと簡単に折れてしまった。

それ以来、舐めた態度で毎日を過ごすようになった。
勉学には真面目に取り組み続けたが、それ以外のすべてをテキトーに取り組むようになった。
ふざけ続けていると、面白いやつだなと友達になってくれる人も増えた。
中学に上がるとそれは顕著になった。

その頃だろうか、真面目な人間をバカにするようになったのは。
本気を出すことは馬鹿馬鹿しいと吐き捨てるようになったのは。
ふざけている方が人気が出るし、辛い思いをしなくて済むから、そんな思考になってしまったようだ。
本気で成果が出るまで何かに取り組み続けることはしなくなった。

受験する学校は入れそうなところを選び、部活も何となく試合に出られそうな部を選び、学校行事はテキトーに手伝い、委員会も最低限しか参加しない。
最低だが、簡単に付き合えそうな女性を彼女にした。

社会人になってもその精神は生き続けていて、今の仕事をより良いものに変えようとか、自分から率先してアイデアを出そうとか、そんなことは全く考えない。
とにかく定時に帰れればあとはなんでもいい。
仕事も誰からも文句が出なければそれで構わない、何か言われたらその時変えればいい。
そんな受け身で消極的な態度で仕事をしてきた。

友達も自分からつくりにいったことはない。
寄ってきた人となんとなくつるんで、生産性のない付き合いをだらだらと過ごしてきた。

そんな態度で過ごして来たら、年不相応な人間が出来上がっていた。

だから、少しでもいいから本気を出して何かに取り組みたい。
今後、何かをするときにはなるべく積極的に関わりたい。
自分の考えを持ち、実践に移していきたい。
そんな風に、今更ながら考えている。

遅いかもしれないけれど仕方がない。
今からできる限りのことをしたい。
せっかく生まれてきたのだから、悔いのないように人生を歩みたい。
彼らのように、小さくてもいいから成果を残したい。
今はそう思う。

そのために何ができるだろうか。
常に考え続けることにする。



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