理学療法士がゼロからDIYで医療系のフィットネスジムを開業
お久しぶりです。
前回の投稿から半年ぐらい経過しましたがタイトルの通りフィットネスジムを作っていました。
今回は準備から開業までを今後増えてくるであろう独立する理学療法士の手助けに少しでもなればと書き残しておこうと思います。
またリハビリ難民と呼ばれる方々に僕らの活動が伝わってくれれば幸いだと思っています。
はじめに
僕は大阪で理学療法士をしています。
特技は喋る事で色んなことにチャレンジして失敗しながらなんとか生活しています。
あとはまた自己紹介を読んで頂ければ幸いです。
①メンバーの募集
まずは何といっても人が居なくては何も出来ません。僕が未熟であるせいもありますが今後の展開を考えると1人か2人は欲しいところでした。
ジム開業前に試運転も兼ねて訪問パーソナル、健康イベントなどを行っていたので、その時のメンバー兼職場後輩のO君に声をかけました。
僕
『今〇〇さん(上司)に辞めるって言うたわ』
『O君来てくれたら嬉しいんやけど....』
O君
『わかりました』
僕
『とりあえずご飯でも行く?』
O君
お好み焼きわらい着席一発で『やります。』
助かった〜〜〜〜〜
そのあと今後のビジョンや今までの反省を話し合いました。O君はシンプルに賢いのでブレイン担当が決まってウキウキでした。
②場所探し
決まったとなれば次はどこに開業するかです。
僕は高槻出身で市の仕事もお手伝いするので高槻に出店する事を望んでいました。
高槻駅前.....ジム激戦区.......家賃激高.......
どう考えても採算が合いませんでした。
僕がかがげるコンセプトは利用者が続けやすい環境ですが、駅前にすると通いやすいとは言い難い価格設定になってしまいます。
ただ僕は昔某ピザチェーン店で働いていたので高槻の端に意外と活気ある商店街があった事を思い出しました。
夢ロード川添商店街!
ホームページは心配になる雰囲気ですが、そこに空きテナントがないか探してみました。
大手のスーパーやクリニック、薬局、郵便局、銀行など様々な店舗が揃っており人は多い印象でした。
その端になんと!
ありました!
川添ショッピングセンターが!
ただ外観やばいけど大丈夫か!?
商店街角二階が空いていました。
僕のモットーは身の丈にちょっとはみ出るぐらいが丁度いい。なので30分ぐらい悩んでから仲介業者さんに電話しました。
そして内見........
広い!古い!
元々は学習塾があったそうでただならぬ雰囲気を感じました。
ただ家賃は駅前の1/3ぐらいで広さは2-3倍あります。駅前はジムも多くそれに僕が目標にしているのはリハビリが出来るジムです。
身の丈と相談した結果、、、
ここに決定しました!
とりあえず内装はめちゃくちゃ頑張ればなんとかなるだろうと思いました。
③資金調達
そして最難関の資金調達です。
ここがネックになって独立出来ない方も多いと思います。
とりあえず600万ぐらいはあった方がいい。
欲を言えば1000万ぐらいあるべき。
これは色んな本にも書いてありますし、誰もが言っています。
ただ僕は29歳ただの理学療法士です。
持っている訳がありません。
今でもAirPodsを買うのを渋っています。
働くしかないかぁ。
年に100いや200万は貯めて.......
5年後には........
無理です。
もう辞めるって言ってますしO君もいますから。
僕は半泣きで謝れば許して貰えるかも知れませんがO君はどーなるんですかって話です。
あと医療がひっ迫してるので、なるべく早く予防医学を普及させたいのに悠長な事をやってる暇はありません。
2025年問題はあと半年でやってきます!
ただこれには僕はアイデアがありました。
借りるしかありません。
僕は大学生の時に好きだった『さらば青春の光』が独立する時に日本政策金融公庫から融資を受けたという話をテレビで見たことがありました。
その時から日本政策金融公庫について調べていたので、経歴や起業の理念やビジョンをしっかりと作り込めば話は聞いて貰えると言う事を知っていました。
そのために前身の総合予防医学事業所天照を設立しておきましたし、色んな所で発表や講師を務めておきました。
そこは抜かりが無い。
ただ問題が一つ
それにしても自己資金がない。
目標額の1/10の自己資金があれば審査して貰えると書いてあります。
ただ良くよく調べると1/2は欲しい...
そんな風に書かれていました。
なんだよそれ
とりあえず自己資金以外はいけるはず。
念には念を入れすぎて参考資料の論文でカバンがパンパンになるぐらい準備しました。
そして2024年3月
新創業融資制度廃止!
終わった!
流石に無理!
さらば青春の光!
と思ったらなんと.......
今後は新規開業資金で受け付け開始。
そして自己資金要件の撤廃!
よっしゃー!!
記事を読んだ30分は車の中で気持ちが最も揺れ動いたのを今でも覚えています。
特に融資が決まった訳でもないのに手が震えて何故かほぼ何も知らないO君に早口で昼休憩に事の顛末を話したりしていました。
そして来たる7月準備しまくったパンパンのカバンを持って日本政策金融公庫さんへお伺いしました。
僕は最初からアクセル全開でプレゼンをし、日本の医療は内圧では変えられないんです健康はみんなで考えないと!悪くなる前に出来ることあるんですと絶叫していました。
そしたら結果的に開始30分ぐらいで
担当者さん
『熱意は伝わりました。』
『融資は何日を希望ですか?』
僕
『え?それは通ったと言う事ですか?』
担当者さん
『事前資料である程度判断させて頂きました』
『確定はお約束出来ませんが』
『ほぼほぼそう言う解釈で大丈夫です。』
事前に決まってたんかい.........
なんか恥ずかしい気もしましたが、自分の考えたプランや調べた事をしっかりと聞いてもらえたことが嬉しかったです。
そして2週間後、無事に満額で通過したと連絡がありました。
本当に日本政策金融公庫さんありがとう。
そしてさらば青春の光ありがとう。
④ジムの内装工事
そして来たる8月です。
お金は入金されました。
初めて銀行で利息がついたのを見てびっくりしました。
オープン目標は10月です。
退職日は9月21日になりました。
O君は有給無さすぎてもっと後でした。
いけるか?
勿論僕は素人ですので何をどうしたらいいかも分かりません。
ただなんとなくのイメージはあったの融資の際に開業にまつわる物は調べてあったのでわかる部分もありましたが、とりあえず天井、床、壁を変えなくちゃいけません。
ただ僕にはまだ懐刀がありました。
僕の大親友(高槻住み)は何でも屋です。
小学生の頃から仲が良く僕がめちゃくちゃな事をするのをいつもサポートして、よく代わりに痛い目にあってくれた最高のパートナーです。
そして僕が兼業で資金不足になった時もバイトによんでくれてよく日銭を稼がせて頂きました。
とりあえず電話一発協力要請しました。
半笑いで1ヶ月空けとくわ〜
助かった〜
またしても僕は助かってしまいました。
正直自分の家の壁も貼ったことないので出来る気がしませんでした。
そしてマンパワーはまだ不足しています。
内装工事をしようにも業者に頼むと初期投資が嵩んでしまいます。
ただ僕も細々と訪問パーソナルなどの仕事はあるので工事に集中出来ません。
僕はふと大学の同期理学療法士のN君(高槻)を思い出しました。そして昼呑みに誘いました。
僕
『ジム作るねんけど手伝ってくれへん?』
N君
『俺実は職場潰れて無職なるねん』
ラッキーーーー!!!!
いや本当に良くない表現です。
絶対にダメですがラッキーだと思いました。
ただN君もなんだかその雰囲気に同調してくれたのかノリノリで参加してくれました。
嬉しすぎてO君にベロベロで昼間に電話し、その後保育園のお迎えがあるのを思い出して全力で酔いを覚ました覚えがあります。
気づけば仲良くなった2人は棟梁と弟子の関係で時に弟子が棟梁に怒りながら最高に働いてくれました。
まず床を全部剥がしました
僕は仕事があったのでほぼN君と友達がやってくれました。僕は4枚剥がして涙が出ました。
次は天井を全部剥がしました。
これは本当に危険だと思うほどの埃が出ていて僕はずっと声が枯れていました。
そのせいで送別会もあんまり呑めませんでした。
次は天井を入れました。
棟梁の仕事仲間も手伝いに来てくれて、難所も全て和気藹々とこなしてくれました。
この時はおかしくなっていたのか、みんなで昼休憩も筋トレをしまくっていました。
天井完成の瞬間
23時45分になんとか天井が付きました。
あまりにも辛すぎたので帰りの車で普通に涙が出ました。首と肩が痛すぎて寝れない日もありました。
次は床を張り替えました。
床と天井が変わるだけで雰囲気はだいぶ変化しました。この辺りから実感が湧いてきました。
O君は僕の息子の面倒を見ながら発注作業を鬼のように進めていました。
価格と納期の板挟みで頭が爆発しそうになりながら最後までやり遂げてくれました。
あんな状況で正確に作業を続けれる作業療法士はおそらく日本で1人だけだと思います。
5年後は僕の代わりに社長と思われていそうで怖いです。
そして壁話の張り替え作業
もうここまでで色んな作業をしすぎたので、もはや理学療法士より内装工事の方が分かって来たのではないかと思っていました。
ただこの壁張り。めちゃくちゃ難しいです。
とりあえず壁がまず真っ直ぐじゃない上に面積が広く試行錯誤の末なんとか出来ました。
いよいよ機械の組み立て
これもまた一筋縄ではいきません。
とりあえずデカくて重いんです。
ただこれがなくてはジムは出来ません。
気づけば息子とO君は兄弟のように作業を進めるようになっていました。
ついにジム完成!
感慨深い!この時は予約も同時に入ったりなど感動することが毎日起こっていました。
ただ同じくオープンが近づいて来ているんだなと緊張感が高まっていました。
チラシ作り
チラシは趣味友達の彼女がデザイナーで手伝ってくれました。本当に出来が良く、このジムでプロが作ったのはエアコンとチラシぐらいです。
まとめ
まだ9月21日現在では少し修正がある部分も残っていますが、なんとか形にする事が出来ました。
本当に紆余曲折ありましたが、振り返ると僕1人で出来る事など殆どなく、メンバーのみんなの力があってここまで来れたと思います。
全てが奇跡の連続で
たまたま職場で出会えた後輩と音楽の話で意気投合した事が始まりで、独立まで付き合ってくれたこと。
大学の同級生が職場のいざこざに巻き込まれて無職になっていたこと。更には高槻に住んでいて誰よりも僕の話を信じてくれること。
小学生からの友達が転職を繰り返した末に何でも屋という、良くわからない仕事でしっかり生計を立てて技術を身につけてくれたこと。
趣味のポッドキャスト友達の彼女がデザイナーでチラシ作りを一手に引き受けてくれたこと。
あれのおかげで予約が入りました。
息子は土日はいつも僕に連れ回されてジムで遊んだり色んな大人に見てもらっていましたが、それはそれで逞しく育ってくれたこと。
妻も同じ理学療法士で、心配に思うことも沢山あると思いますが最終的にはいつも応援してくれて見守ってくれていること。帰る家がある事で外で働きまくれる原動力になります。
そして商店街の皆さんも若いの僕らの四苦八苦を楽しんでくれて仲良くしてくれています。
一度セコムを鳴らして消防車が来たことも笑い話にしてくれて助かりました。
本当に多くの人に支えられてなんとかオープンが出来そうです。
ここまで読んでくれた理学療法士、またジム開業を目指す人にお伝えしたいのは、独立が決まってから出来る事よりも、独立が決まる前に何をするのか誰と過ごすのかが大切だということをお伝えしたいです。
独立するぞ!と意気込んでるということはそれなりに知識や技術があり、なんらかの経歴があると思います。
ただ初めはチラシ一つ作れないし、床一つ剥がせません。インスタはダサいって部下に笑われるし、粉塵で声は出なくなるし、お金はいつもないし電話に出る時はテンパってしまいます。
そして僕のモットーはもう一つありました。
より良く
シンプルですがリハビリでもずっと大事にしていた事です。
昨日より少し出来れば、何かが変わればと思って高い目標より目の前のことをコツコツと積み上げる事を意識して患者さんと接してしまいました。
僕が独立前より良くなれたかはまだ分かりません、ジムもどうなるか分からないです。
ただ僕の会社はより良くなっています。
毎日変わっています。
それが次の挑戦に繋がると思って、今後も色んな方面で発信を続けていきたいと思います。
メディカルフィットネスジム Raybe(レイビー)
2024年10月1日
オープンします!
ぜひ遊びに来てください!
医療とフィットネスのハイブリッドは大阪高槻で体験する事が出来ます!