彼岸と此岸 下の巻き
「十日の菊」なんていいますね。9月9日は菊の節句、昔は端午の節句よりも盛んだったそうですが、それはさておき、十日に咲いたって間に合わないじゃん、といったことで、時季をはずしてしまい、役にたたないことをいいます。
上下にわかれた今回の巻きのテーマは、まさに十日の菊、六日の菖蒲でした。これはひとえに編集担当の不手際というわけではありますが、チョークープロジェクト、内輪もめもいけません。取りあえず今回のテーマは
お彼岸ですよね。
でした。日本の仏教行事の中でも親しみやすさでは「お盆」と双璧ではないですかね。「お彼岸」は、春と秋に迎えられており、「暑さ寒さも彼岸まで」という通り、暑さや寒さが少し和らいだ季節に設定されております。殺人的に暑かった今年の夏、本当に暑さが緩んだんで、驚きました。
お盆もお彼岸も、お墓参りですよ、先祖供養ですよ、といった感じが一般的ですが、本来は、そうではなくて、お彼岸の原語はサンスクリット語のパーラミータ(波羅密多)を訳した「到彼岸」、つまりあっち側に到着、というこっちゃね。あっち側とは極楽世界、そこに「到る」、要するに「この世の中を極楽世界のようにしよう!」というスローガン的な要素を持った行事なんですね。
●●●このときぐらいはね
よその国にはないですよ。日本ではね、日頃あまり修行をしないから、せめて彼岸のシーズンぐらいはちょっとやってみましょうよ、なんしか昼と夜の長さが同じ、太陽が真東から出て真西に沈むんですから、今ならあっち側に行きやすいですよ、と、そういう期間となっております。
思いも通じやすくなりますね、ということでお墓参りなんかも盛んになってきたんでしょうな。
●●●故郷で歓迎されないなら
ともあれ、上の巻きに帰りましょうか。日本仏教の礎を築いたといっていい、玄奘三蔵の旅は過酷極まりないシルクロードの道程であって、そんな命がけの旅に出たのも経典を持ち帰り翻訳し、多くの人々を苦しみから救済したいという願いからなんです。
そんなありがたい仏教なのですが、釈迦の生まれたインドのあたりでも、玄奘の中国でも、人気はいまいちですよね。新約聖書にもありますよ。「預言者は故郷では歓迎されないものだ」とね。
次なるお彼岸では、玄奘三蔵を思い出してみましょうよ。ありがたいお経を命からがら持ち帰ってくれたんです。悟空も猪八戒も沙悟浄も、実際はいませんから、かなり苦労したのではないですかね。別にお彼岸でなくてもいいのですけど、たまにはいいじゃありませんか。
何度も申しますが、仏教には過去からの智恵がうずたかく積み重なっています。そのかけらのいくつかを拾うだけでも、人生が豊かになること請け合いです。お坊さんだからワタシ、そう断言できますね。愚僧チョークー、今回は胸を張って終わるのであります。合掌。