心像が限界で過ごすと…?


のprologue、ななと君の体質の『制限している』ような状態とは……? ってことで書いてみました。

心像が限界な過ごし方は、どういう感じなのか


実は小説を更新しつつ動画を観ていたとき、こちらの動画が流れて来たので見ていたのですが、初っ端なから難易度が高くてびっくりΣ(・□・;)したので、こういう視点もあるのかと

アニメで曜日感覚を補う、とかから既に異次元でありました。なるほど……時間があるぶん何度も見るアニメに詳しくなったり、曜日感覚を補ったりするのですね。

って難易度高くない!?

最初の時点で難しすぎるΣ(・□・;)そこで意外と知られていない、心像が限界な過ごし方について書いてみようと思います。




心像が限界な人とは?

まず、心像が限界な人というのは、目の前に見えるものではなく、内的なイメージを脳内に描くことが出来ない状態を指します。 これも一概に言うには分類が難しいですね。(^▽^;)相貌失認のような、顔だけわからないというような感じでしょうか。

に出てくる用語に※アファンタジア状態がありますが、この感覚から来ています。※魔法を使い過ぎて視覚を中心に感覚が蝕まれて行くという。

アファンタジア(Aphantasia)とは心的イメージを思い浮かべることができず、頭の中でイメージを視覚化することのできない状態を指す言葉である 。この症状は1880年にフランシス・ゴルトンによって最初に記述されたが、その後現在に至るまでほとんど研究されていない。

出典: アファンタジア - Wikipedia


何かするのに他人以上に感情が必要

何かするときも観ているときも『緩和剤が無いので』感情にかなり負荷をかけています。観るものは一定のテーマの範囲(同じような感情が続くので消費が少ない) か、一日一つ~多くても三つくらいが多いですね。

【最終的に】 アニメを見る→
感情を浪費する→
「何も浮かばないになる」→アニメを見る→?????????ぐちゃぐちゃなモザイク→ 感情を浪費出来なくなる→

アニメの時点で曜日覚えられにゃくて詰む

※あくまでも筆者の例です

毎日開催される単語テストみたいな感じだね!

 


何かを記憶するときというのは、㍶でも人体でも起動時にイメージ+意味付けが脳内で行われますよね。しかし何らかの理由でイメージが正しく動かせないとどうでしょう。

『顔だけ覚えられない!』

 この結果、意味付けだけが残ってしまう。 「●曜日に●●がある」が「曜日 ある」しか覚えてない状態になるので、何曜日かだけ覚えられずアニメを続けて観る行為自体が極度の不安と苦痛に陥りやすい。  例えば知らないうちに机に「会議」だけ貼ってあったら「え?何?なんだっけ」と無駄に緊張しますよね(>_<)この極端にイメージが欠如した状態を無理矢理補おうとすることで視聴自体が義務感になってしまっています。 自分で判断するもの以外は娯楽の領域を超えているので「あれ見て!」「コラボしたよ!」と言われても既に追えていないことがしばしば。観れなくても無理せず。自分を慰めよう。

なぜこんな状態になってしまうの?

詳しい事は一概に言えないですが、 自分の場合は日記を描いていたのを早いうちに流出して作品になってしまったりしたことで イメージを持つ事そのものによって外から傷つけられてしまう、という経験を常にしているので、身体が防衛本能で無駄なイメージを持たないようにしているのだと思います。  その結果考えた事や思った事を自分の中できちんと留めておくことが出来ないまま育った事が原因の一部だと思います。(;´∀`) まったくないという事ではなく、感情が麻痺するまでは認識しています。

イメージそのものと認識を繋ぐ為の部分が欠落してしまう状態ではありますが 「晴れているから月曜日」というような肌感覚?で判別して居たり、あるいはなんらかの共感覚が生れる事もある。

(カレンダーに印をつけてどうにかやってる)

という事で、過ごし方だ!




過ごし方

創作をしてる

時間を潰す以前に、時間が経っている感覚がわからないので、トレンドも観ないし、テレビも観ないので、代わりに創作をして、その中で時間の経過と主人公の経過を観て過ごしている事が多い。創作は生きる為で、他の娯楽は暇なときと言う感じ。

当然、トレンドを追う事も人一倍しんどいのでもはや創り出す方が早い。 決まった曜日がわかっていても他人事というかその枠内に居ないときに、覚えて居ることそのものがしんどい。イメージを自分の中で補うには、やはり自分で日記などをつけて、足りなかった部分を想像で補うのが一番です。 筆者は時間が経つことがあまりに不安で、砂時計を置いたのですが、砂時計があった事を忘却してしまいあまり意味がありませんでした。

イメージそのものを作る

そこで、イメージそのものを作る。 時間間隔を持って居る人が居るというイメージそのものを作る事が効果がありました。 私が時間が分からなくても、自分の創作?とか、言葉は覚えて置けるんですね。 あとたまごっちと同じ時間に起きるのも効果ありましたね。

読むより書く方が好き

受取るより送る、読むより書くのが好きですね。スポーツを観るのとするのくらいの違いがあります。
『自分の文字や絵に慣れる』とやっと『外の刺激を受け取れる』ようになる



というわけでえっと……
この分野?の話としてはそんな感じです!

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