国際平和協力を日本はできるのか ~憲法9条改憲に新たな視点を~


 私は個人的に国際政治や安全保障を学んでおり、所属するゼミでもそれらのテーマに関連したものを中心に扱っている。その中でよく著書を拝読させてもらっている人物に篠田 英朗さんという東京外国語大学総合国際学研究院教授がいる。その篠田さんのブログでこのような記事を見て非常に考えさせられた。少し長いが是非読んでみてほしい。

自衛隊は違憲なのか、合憲なのか。日本は国際貢献したいのか、したくないのか。日報に「戦闘」という言葉があると違憲なのか、何なのか。結局、表面的な話題を取り換えていくだけで、延々と同じ人々が同じ構図で同じ対決をしているだけのように見える。国際貢献など、ただの美辞麗句であり、都合よく捨てられる。
(中略)
細谷さんは、外交史が専門だが、私や上杉さんと同じような世代で、印象深いことを言った。
1992年、PKO協力法ができたとき、若者だったわれわれは、国際貢献をする新しい時代が到来する可能性に、胸を躍らせていたのだ。
細谷さんは言う。「夢は破れた」、と。
ああ、本当にそうだな、と、聞きながら、思った。われわれの「夢は破れた」のだ。
騙された、とは言わない。全く予想していなかった、わけでもない。だがこんなことになる可能性だけしかなかったわけでもないはずだ。変化は起こってもよかったはずだった。だが起こらなかった。認めよう。「夢は破れた」、と。

(http://agora-web.jp/archives/2032199.htmlより抜粋

憲法9条改憲というと一般的には日本の安全保障に絡めた話題が非常に多く見受けられる。私自身も憲法9条は明確に改憲するべきだと考えている。またその切り口も自衛隊の合憲性や組織構造、日本の安全保障政策の柔軟さを持たせるべきというもので基本的に考えている。だが、日本の平和維持活動への貢献への弊害になっているというのはあまり意識しないだろう。そこでPKOの沿革と変わりつつある平和構築の視点を追っていこうと思う。

Noteに連載企画としてしばらくやるつもりで、PKOの沿革を取り上げるものは「PKO①」というようにナンバリングをしてく。日本と国際平和協力に関するものは、「日本と国際平和協力②」とナンバリングをする。

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