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豊田雅子氏レクチャー「尾道空き家再生プロジェクト」

東京大学建築生産マネジメント寄付講座主催のレクチャーシリーズ「つくるとは、」の第一回「生活文化」が、豊田雅子氏(NPO法人尾道空き家再生プロジェクト代表理事)と釜床美也子氏(香川大学創造工学部講師)の両名をゲストに迎え、2021年7月19日に開催されました。本稿は、豊田雅子氏による講演(研究・活動紹介)の内容から構成したものになります。

尾道の魅力と失われつつある風景

尾道空き家再生プロジェクトの豊田です。1974年に尾道で生まれて高校まで育ちました。実家の周りは車も入らないような坂と路地に囲まれた場所でした。高校時代は都会に憧れるよくある田舎の女子高生でした。大学進学で尾道を離れて大阪で一人暮らしを始めると、そこで初めて尾道の良さに気づきました。車が普及する前に築かれた街なのでコンパクトでスケール感がちょうどいい。道も狭く家と家が近いですし、ヒューマンスケールの生活がまだ残っています。人の顔が見える安心感のなかで育ったことに、都会に出て気づかされました。

もともと英語が好きだったので、大学は英語学科に進学しました。ヨーロッパの古い街並みも好きで、『地球の歩き方』を片手に一人旅をするような学生でした。将来は海外に行って英語を使いたと考えて、卒業後は海外旅行の添乗員の仕事に就きます。ちょうど関西国際空港が完成した時期で、そのまま大阪に残りJTBの海外旅行専属添乗員として8年ほど国内外を行き来しました。ヨーロッパの街並みを実際に見て周ることができて、その経験から今の活動を始めました。

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いろんな街に行きましたが、やっぱりいいなと思うのは尾道に似ている街でした。坂や路地がある街、眼下に海が眺められる街。海外には世界中から愛される小さく魅力的な街がたくさんあります。人々も街の魅力に誇りをもっていて、歴史や風景を大事にしています。そのような街をたくさん見ると、尾道も負けてないんじゃないかと思うようになりました。尾道には港町としての長い歴史があります。戦災にも遭ってないので古い寺社が積み重なるように昔の建物が残っています。

日本に戻ると、スクラップ・アンド・ビルドでどこも同じようなビルやマンションばかりの風景になっていて、この状況はなんなのかと思いました。特にイタリアにはよく行っていましたが、イタリアは日本と同じぐらいの国土面積で海にも囲まれ、地震や火山もある日本とよく似た国です。そのイタリアはどの街にいっても街並みがすごい。土地の気候風土に合わせた家並みが残る街がたくさんある。だから何回行ってもイタリアは楽しいですし、そうした街並みが、日本からはどんどん失われているんじゃないかと疑問を抱きはじめました。

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尾道の中心市街地を上から見た写真です。尾道三山という山があって、下が向島です。向島と本土の間に川のように流れるのが尾道水道と呼ばれる瀬戸内海の一部です。尾道水道と三山の間が旧市街で、歴史的な街並みが残っています。地形的にも恵まれた場所で昔から天然の良港でした。850年ほど前に荘園の年貢米の積出港として始まり、江戸時代後期に北前船の寄港地になって繁栄したそうです。ですが、現代では車中心になり船の航路も少なくなりました。対岸から見た尾道の風景にはビルが立ち並び、江戸時代からの港町の風格や風情は失われつつあります。

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商店街を歩くと路地がたくさんあります。こうした路地をのぞくと昭和な風情が懐かしいです。昔から変わらない風景が残っていて、尾道らしいなとほっとします。線路をくぐって北側に出ると、戦前の建物が斜面にへばりつくように密集する坂の街が広がります。尾道の魅力は坂と路地だとよく言っていますが、そうした場所こそが実は空き家問題の最前線でした。尾道駅から2km圏内、観光マップのど真ん中のような地域に500軒以上の空き家が点在する状況でした。大阪にいたときに空き家増加のニュースを聞いて帰省すると、10軒に1軒ぐらいが空き家を通り越して廃虚状態になっているような、ショッキングな状況でした。

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接道要件を満たさない敷地では解体すると建て替えができなくなるので、どんどん家並みや街並みが失われ人が住めなくなっていきます。不便かもしれないけれど、人が住んでこその尾道なので、どうにかできないかと考え始めました。いつかは尾道に帰ろうと思ってたので、帰省のたびにセカンドハウスを探す感覚で空き家を探しはじめました。

空き家探しで培われたネットワーク

当時は尾道の不動産屋もこのエリアにはさじを投げていましたし、尾道市が全国に先駆けていた空き家バンクにも簡単なエクセルの表がある程度で、あまり情報がありませんでした。しょうがないから地図を持って自分でぶらぶら歩いて回ろうと思いました。いいなと思う家があれば近所の人に聞いてみたり、人伝いで情報を得ながら、空き家探しを6年間続けました。話を聞くなかで、なぜ空き家になっているのか、大家さんはどうしているかなど、地域の状況もよくわかるようになっていきました。その間、空き家に住みはじめる同世代や、路地裏の古民家やレトロなビルでカフェや居酒屋を始める人が少しずつ出てきました。この6年間で、町内会長さんや地主さん、市役所などとのネットワークが構築されていきました。

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2007年の春にとうとう1軒の空き家と出会いました。駅裏の坂の途中にある木造2階建ての一軒家、通称「ガウディハウス」です。大家さんと話すと「壊そうと思っている」ということだったので、私が個人的に買い取ることにしました。この頃には私もUターンで尾道に帰っていて、結婚して双子が生まれていたので、大工の旦那と一緒にこつこつ直していこうと考えました。

当時はちょうどブログが出はじめた頃で、建物を買ってからの日々を「尾道の空き家、再生します。」というタイトルで毎日発信していきました。日々の作業や空き家の状況、あとはヨーロッパで見た街並みのことなどを発信していると反響がありました。だんだん地元で空き家に詳しい人になっていって、1年間で100人ほどから空き家や移住の相談が舞いこんでくるようになったんです。空き家を探す過程でほかにも空き家がたくさんあることはわかっていましたし、100人が1軒ずつ担当してくれたらこの街もなんとかなるかもしれないと思って、仲間を集めて2007年の7月に「尾道空き家再生プロジェクト」という市民団体をまず立ち上げました。

「尾道空き家再生プロジェクト」の実践

当初は30人ぐらいの仲間がいました。尾道の空き家は、地元の不動産屋や工務店など、みんながさじを投げているような状況だったので、逆にいろんな分野の人がそれぞれの見方で空き家を見ることで、新しい使い方や直し方ができるのではないかと考えました。私自身が建築の専門家ではないので、なんでも外注して新築みたいに直してもらう必要はないなと。そこで、いろんな視点から空き家を見た「◯◯×空き家」というキーワードを挙げていきました。なるべく敷居を下げて、いろんな人に空き家問題や尾道の将来を一緒に考えてもらいたいと思って始めました。

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翌年、NPOの法人格を取得して、主婦のボランティアでできることから始めていきました。例えば「空き家再生蚤の市」です。尾道の空き家は荷物がぎっしり残ったままのものも多く、その荷物が再生のネックになっています。まだ使える物もあるので、その荷物を家の中で陳列し直して、適当に持って帰ってもらう蚤の市です。運ぶ労力もいらず、捨てずにどこかでまたリユースしてもらえて、少し投げ銭もしてもらえるという、一石三鳥の試みでした。

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大学の先生に街歩きの建物探訪編を毎年開催してもらったり、大工さんや左官職人さんに建物の壁を塗り方や、床やタイルの貼り方を教えてもらうワークショップを開催してもらっています。なるべくプロセスを大事に、学んだことを次に生かせるように心掛けています。また、尾道には空き家だけでなく空き地も多く、その活用も考えています。「空き地再生ピクニック」と題して、新築も建てられない空き地に近所の子ども連れの人たちと一緒に公園をつくりました。

空き家再生の事例を紹介します。「ガウディハウス」は25年間空き家だった状態から、ごみ出しと掃除をして、応急処置をして、蚤の市して、アート系の団体と連携しながら展覧会会場として使ったり、坂口恭平君にふすま絵を描いてもらったりしました。「ガウディハウス」は登録文化財になったので職人さんにきちんと直してもらっています。備品も地元の作家さんや移住してきた方にお願いして揃えてもらい、2020年に完成しました。1棟貸しで宿泊できたり、貸しスペースとして使える場所になっています。

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今私がいる場所が「北村洋品店」です。建物としては特別なものではありませんが、形が面白いので直していきました。最初はぼろぼろで、柱と梁が白アリに食われていて雨漏りもひどく、普通は取り壊すような状態だったと思います。必ず専門家の方に構造と屋根とライフラインはしっかり直してもらうようにしています。内装はプロに教えてもらいながらみんなでワークショップしながらつくっていきました。

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「三軒家アパートメント」は、トイレ共有・風呂なしの木造2階建てアパートでした。空き家を借りてみんなで直して、アトリエやギャラリー、小さなお店やカフェなどが集まった場所として活用してます。並行して、尾道市と共同で空き家バンクのリニューアルと移住支援も始めています。空き家バンクは民間と共同することで土日祝日も対応できるようになりますし、ウェブページを充実させて各種手引書を配布したり、空き家相談会や空き家巡りツアーを企画しています。だんだんと空き家の登録件数も増え、利用者数、成約件数も増えています。移住者が古い建物を生かしながら個性的なお店を開いてくれています。

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見えてきた課題としては、大型の空き家の活用です。また、尾道には大学が一つしかなく、都会のようには仕事がないので、若い人が少ないことも問題です。若い人の仕事にもつながるように、商店街の奥行き40mの町屋を、ゲストハウスとカフェに改修したのが「あなごのねどこ」です。明治時代には呉服屋だった建物で、最後に眼鏡屋として営業した後は5年以上空き家の状態でした。移住してきたマンガ家さんと一緒にデザインして、みんなの手を借りながら直していきました。商店街に宿ができれば周囲の飲食店や銭湯にもよい影響がありますし、ゲストハウスの運営にあたっては、例えばお菓子づくりが好きな人、デザインできる人、英語ができる人というように、若い人の仕事にもつながっています。それが商店街の活性化にもつながります。

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もう一つ見えてきた課題は、文化財級の民間の空き家をどうするかです。人口が半減し税収も減るなかで、地方が行政主体で文化財を保護していくには限度があると私は考えています。民間がお金を生み出しながら維持管理していける仕組みが大事です。坂の上にある「みはらし亭」という元別荘の建物は、今年でちょうど築100年の登録文化財でした。ぼろぼろでしたが、ワークショップを行いクラウドファンディングで500万円ほど集めました。市からも補助金がついたので、職人さんにしっかり直してもらい、2016年に完成しました。すごく眺めがよく、1泊3,000円ぐらいで泊まれます。

ほかにも、泌尿器科をシェアハウスにした「旧竪山医院」が今は「20デシベル」という古本屋になっていたり、3階建ての建物「旧料亭 竹内」もシェアハウスとして使っていたり、最近では駅裏にある元旅館の離れの宴会場「松翠園」を再生しました。天井に地元企業の広告を掲載することで協賛を募り、地元の大学の日本画を学ぶ学生さんに協力してもらい、ワークショップを開催したりしながら、去年完成しました。貸しスペースとして使える場所に再生しています。

いろいろな空き家を再生し続けてはいますが、まだまだ空き家はあります。空き家というと行政からは負の遺産とされていますが、まだ使える空き家もたくさんあります。尾道は特に家並み、街並みが風景をつくり出しているので、そうした歴史を全部壊してしまうのではなく、新しいものも加えながら歴史の延長として空き家を再生して、次の世代にバトンタッチしていきたいと思ってます。

今年で15周年になりますが、移住してご家族で住み続けてくれる人や、いろんな空き家を使ったお店や活動がたくさん増えていて、逆に地方の私たちの生活を豊かにしてもらえてると感じます。空き家は負の遺産ではなく、いろんな可能性を秘めている建物の一つだと信じて、日々活動しています。(了)


構成:和田隆介(わだ・りゅうすけ)
編集者/1984年静岡県生まれ。2010–2013年新建築社勤務。JA編集部、a+u編集部、住宅特集編集部に在籍。2013年よりフリーランス