ハブラーケン

2019年度HEAD研究会・ビルダーTF第3回 部品化

初回(前々回)は戦後の住宅生産を概観し、工務店が依存してきたオープンな資源が今後も持続できるのかを取り上げました。前回はそうした資源のうち、職人という人的な資源を取り上げ、職人と機械のトレードオフの関係やそれに合わせた構法の変化について考えました。今回は、モノ側の部品について考えたいと思います。

パイロットハウスとパイロット部品

まず、住宅の部品化が出てくる流れについて、何度も言っていますが戦後の日本の住宅生産は終戦時の420万戸という住宅不足から始まります。住宅の大量供給のため、公営住宅51C型などの標準設計や、ミゼットハウス(大和ハウス工業)などのプレハブ住宅によって住宅の少品種大量生産が進められました。部品単位で見ると、第1回でも登場したKJ部品(公共住宅規格部品)のように同じ仕様で大量に生産するオープンな住宅部品の開発が進められました。オープンと書いたのは、公共住宅(公営、公団、公社など)向けに開発された部品を一般にも流通させ、住宅部品全体の底上げを実現しようとしたからです。住宅、住宅部品の分野でパラレルにこうした「同じものを大量につくれば安くなる」という発想の取り組みは進められました。

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KJ部品のステンレス流しとステンレスコンロ台(UR展示施設)

1970年になるとパイロットハウスと呼ばれる技術提案コンペが行われます。これは工業化によって性能が高く費用を抑えた住宅を実現することを目指したコンペで、特に他産業から住宅産業への進出を促すものでした。有名な当選案が三井造船による3次元の空間ユニットを積み上げていくブロック造船技術を使ったものです。造船業には客室の内装や設備を施工する技術もあり、技術的には躯体、内装、設備がつくれます。当選案は稲毛に試行建設されました。その現場調査をしていた人から聞いた話ですが、三井造船の敷地だけ何もなくてどうするのかなと思っていたらいきなりユニットを運んできて積み上げあっという間にできたそうです。

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三井造船のスペースユニット工法(パイロットハウス技術考案集より転載)

このように工業化住宅の開発を目的にしたパイロットハウスですが、その前年に設備ユニット試作競技という前身のコンペが行われます(後には芦屋浜という街レベルのコンペがあって3つ合わせてパイロット三部作と言います)。これは風呂、トイレ、洗面の3点ユニットの開発を行うコンペで多くのメーカーが参加しました。ユニットバス自体の開発はホテルニューオータニ(1964)が日本で初めてと言われていますが、この試作競技は住宅向けです。1年後のパイロットハウスでも、有名な提案としてナショナル住宅建材のハートコアユニットという3点ユニットとキッチンを背面合わせにしたユニットの開発が見られます。図のように基礎工事の後ユニットを先に据え付けるもので、審査員の林雅子も高く評価したと言われています。

7-7 ハートコアユニット

ハートコアユニット(パイロットハウス入選考案集より転載)

パイロットハウスと同じ1970年には空間ユニットを組み立てるセキスイハイムM1が発売されます。これを開発した大野勝彦の博士論文は「部品化建築論(1971)」です。ここで部品化というのは、単に建物を切り分けてプレハブ化するだけではなくて、部品に機能を集約して高付加価値化を図ることとされています。ユニットバスは、様々な機能を集約するとともに漏水等のリスクを減らし、さらに工期短縮・コスト削減を実現するもので、大野の言う部品化の代表例と考えることができます。

システムズビルディング

住宅の部品化といった場合、「部品をどうつくるか」と「住宅全体を部品でどう構成するか」という論点があります。1970年代以前、KJ部品のようにオープン部品の開発はありましたが、トータルシステムとして公営住宅や公団住宅は51Cに代表される標準設計で在来式のRCで建てられていました。また、民間のプレハブ住宅やパイロットハウスのように住宅全体の工業化も進められていましたが、オープンな部品の使用はあまり考慮されておらず、例えばプレハブ住宅メーカーの部品はクローズドな特注の部品が多くの割合を占めています。このように住宅と部品はパラレルですがバラバラに開発されてきたわけです。その後、住宅全体および構成する部品をオープンな形で一体に開発していこうとするシステムズビルディングの取り組みが始まります。

代表例が住宅公団のKEP(Kodan Experimental Project)です。KEPが開発された1970年代前半は、1968年に統計上住戸数が世帯数を上回るなど住宅不足は解消しつつあった時期です。住宅不足の時期のように同じ建物でも建てれば住んでくれる時期は終わりつつある一方で、何でもかんでも自由設計・一品生産では手間もコストもかかります。そこでKEPでは住宅全体のモデュラーコーディネーションを決め、そのルールの中でオープンな住宅部品を組み合わせて住宅を作ろうと考えました。KEPの住宅部品としてはBL(Better Living)部品が使われました。KJ部品が仕様規定であるのに対してBL部品は性能規定です。仕様規定のKJ部品は、寸法や材質などが規定されていてどんどん社会的に陳腐化してしまったので、BL部品では性能を満たすものを認定してメーカーに競争させました。具体的に言えば、KJ部品のステンレス流しが材質や寸法、形状など細かに決めていて同じ流しをつくりつづけていたのに対して、BL部品は他部品と取り合う部分や寸法、性能上の要求条件を満たせばよいことにしてメーカーに色々アイディアを出させたわけです。このBL部品を組合せて様々な間取りをつくることができました。部品を組み合わせて多様な住宅をつくろうとしたわけです。

11-2KEP八王子実験住宅

KEP八王子実験住宅、左側の躯体にKEPカタログから選んだ部品を組み込んでいくと右のような住宅になる(建築界、1976年8月号より転載)

このように住宅全体というトータルシステムがあって、それに合わせたサブシステムがあり、サブシステム毎に部品の開発が行われるのが、システムズビルディングです。このはしりは戦後のイギリスで学校建築向けに開発されたCLASPです。戦後のイギリスで、「学校が足りない、でも学校に必要な部屋や広さは学校毎に違う」といった時に、一定の広さの地方で学校建築を発注するコンソーシアムをつくって需要を取りまとめ、躯体などの部品を開発しました。有名なのは積水ハウスのシーカスのようなK字型のブレースのパネルで不同沈下を防ぐために開発されました。

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CLASP、右下にブレースの入ったパネルが見える(内田祥哉「建築生産のオープンシステム」より転載)

こうしたシステムズビルディング開発をイギリスで見たエーレンクランツがアメリカでSCSDなど学校建築のシステムズビルディングを開発します。これは1.5mのグリッドの構造、屋根、設備、間仕切りのサブシステムからなるシステムズビルディングで、これら以外は自由に設計する、わりと緩いシステムズビルディングと言えます。下はこれを見に行った内田祥哉の記述です。

家庭科の先生が主事の先生に『夏休みが終わってみたら私の授業する部屋が狭くなっている。なんとか元に戻してくれ』、それに対して主事は『いや、あなたのクラスは今学期から生徒数が減るのだから我慢しなさい』(「建築の生産とシステム」より転載)

学期によって部屋の大きさを変えられることが分かります。この柔軟性はKEPで考えていた柔軟性と少し違います。KEPの目的は新築する際に、同じ部品からどれだけ多様な住宅を生み出せるかを考えていました。SCSDで内田が見たのは、時間の経過に合わせた柔軟性です。前者をflexibility in spaceと言って、後者をflexibility in timeと言ったりもします。
日本のシステムズビルディングについてもう少し説明すると、KEP以外にも1970年代にいくつかのシステムズビルディングが開発されます。中小規模の官庁オフィス向けGODや学校施設向けのGSK(Gakko Shisetsu Kenchiku)などです。しかし、これらは数棟の試験的な供給にとどまりました。システムズビルディングではCLASPで見たように一定量の需要を前提としてサブシステムに分かれて部品の開発を行いますが、1970年代には住宅以外にそのような規模の需要を取りまとめられなかったからです。本来は住宅不足、建築不足の時期にシステムズビルディングを開発すれば良かったのですが、そうした時期にはシステムズビルディングを開発する余裕はないし、建てれば売れた一方で、住宅不足、建築不足が解消し始めて一息ついてシステムズビルディングを開発しようとすると、その開発を駆動する需要が量的にもう存在していませんでした。似たような例で、パイロットハウスは住宅不足の1960年代にやっておけば他産業からもう少しは住宅分野に進出したはずなのですが、少し遅くてあまり他産業の興味をひかず、入選案で他産業と言えるのは三井造船と久保田鉄工くらいでした。

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GODのモデュラーコーディネーション(建築界1978年9月号より転載)

あなたに普通はデザインできない

日本では1980年頃になると長寿命化に関心が持たれ始め、居住後のニーズの変化に対応できる柔軟性を備えた住宅を供給する気運が生まれます。先ほどの分類でいくとFlexibility in Timeの方です。代表的な例として、建設省のCHS(Century Housing System)は、建築の部位や部品を耐用年数(4年、8年・・・60年)によって分類し、耐用年数の短い部品は耐用年数の長い部品を傷めずに交換できるようにしようと考え開発されました。具体的には、床に配管を埋め込むとコンクリートをはつることになるので、床上に配管しましょうといったものです。

11-4CHSの考え方

CHSの考え方、上の方が交換の周期が短い部品(内田祥哉「第10回日仏建築会議基調講演 建築生産の過去・現在・未来」、日本建築センター、1988年より転載)

こうした流れが日本だとSI(スケルトン・インフィル)住宅に発展して、NEXT21などにもつながっていくわけですが、SIのように長寿命化した躯体と更新可能な設備・内装といった発想の元は、ハブラーケンによるオープンビルディングとされています。ハブラーケンが紹介された時期の「あなたに普通はデザインできない」(都市住宅、1972年9月号)は画一的な住宅供給を批判し、住民が住宅を住まいとして住みこなし、建築家は住まいが入る場こそ設計すべきと述べています。このようにハブラーケンの考えは長寿命化のために躯体とインフィルを分離するというよりも、戦後の画一的な住宅大量供給を批判し、公共が担うべき住まいを支える構造や仕組みと住民が決定すべきインフィルを分けましょうというものでした。ですので、日本のようにスケルトン・インフィルではなく、ハブラーケンはサポート(支え)・インフィル(あるいは分離ユニット)と呼んでいました。一連の特集ではコルビジェのドミノに大きくバツ印をつけ「サポートとは構造のことではない」と書かれていますが、日本ではいつの間にか構造のことになりました。

サポート

サポートの説明(N.J.ハブラーケン「ハウジング再考手ほどき」都市住宅1972年9月号より転載)

さらに同じ号に掲載された「ハウジング再考手ほどき」の冒頭には日本の木造住宅の平面図が登場し、「たたみを規準ユニットとして用いながら、家族自身が平面計画をスケッチしたもの」と書かれています(タイトルの図として転載)。ハブラーケンは日本の在来木造住宅について、住民がスケッチを描けば家全体ができてしまうところに注目しました。画一的な住宅大量供給とは対照的なものと見たわけです。それでは、そうした住民による意志決定を可能にする在来木造の仕組みや特徴は何かというとシステムズビルディングです。畳や建具が代表的ですが、在来木造は部品からできていますし、部品毎に職人がいて住民や設計者のニーズに合わせて一定の寸法や品質を満たした様々な種類・グレードの部品をつくることができます。住民が「この部屋は6畳でお客さんが来るからちょっと良い仕上げにしたいわね」というと、柱、天井、壁、畳といったところの仕様が松竹梅くらいのバリエーションの中から効率的に組み合わせられます。こうした多様性も最初から一品生産というわけではなくて、町場の建具屋、畳屋が住宅毎に採寸・加工をする前には、鹿沼などの建具の産地、あるいは畳であれば畳床、畳表など、ある程度の量がまとまって部品の部品が効率的に生産されています。これが可能なのは、軸組のフレームから各部品まで尺貫法のモデュラーコーディネーションが行われており、床は畳か板といったようにある程度仕様について住民、設計者、施工者、職人の間で共通認識が持たれているからです。KEPやGOD、GSKのように誰かが主導してシステムズビルディングを作らなくても、在来木造住宅においてこのようなモデュラーコーディネーションや共通認識が成立するのは、かなりの期間、一定の規模で在来木造住宅生産が続けられて洗練してきたからだと思います。こうした仕組みは日本のほとんどの地域にオープンに存在していて、誰でも使うことができましたし、ハウスメーカーなども部分的にはこれに乗っかって3尺内外のモデュールを設定しました。現在では、畳はフローリングに、左官はクロスにといった具合に材料は変わっていますが、似た仕組みが維持されていると思います。

このように在来木造の生産システムは工業化を突き詰めていった先に価値が見えてくるようなよくできたシステムなのですが、これから住宅市場が縮小した時にどうなるかが問題になると思います。上に述べたように時間をかけてできあがったものですから、1回なくなってしまうとなかなか作り直すのは困難ですし、今普通に使っている技術やシステムの良さを見直すことも必要ではないかと思います。一方で職人不足はどんどん深刻になりますから、現在のように部品や建材と職人が1対1で対応するようなサブシステムのあり方を見直す必要が出てくるかもしれません。

(当日はこの後、設備の中でもお風呂について気になっていることをいくつかお話して、工務店や参加者の方々とお風呂について様々な角度から議論しました。)

参考文献

佐藤考一、「住宅生産工業化の研究」、「現代住宅研究の変遷と展望」所収、住宅総合研究財団、2009

内田祥哉、「建築の生産とシステム」、住まいの図書館出版局、1993

松村秀一ほか、箱の産業―プレハブ住宅技術者たちの証言、彰国社、2013