見出し画像

ネパールの朝、日本の朝。

私は朝に弱い。寝起きも悪い。休みの日は昼過ぎまで寝ていることの方が多い。

だが、仕事が朝からある日は4時に起き、5時頃に家を出ることもままある。(そうせざるを得ない…)

無理やり体を起動させた私は、自転車を走らせて職場へ向かう。空はまだ薄暗く、風はひんやりとしている。街灯はまだ夜だと判断しているのか、オレンジ色の光を宿している。

その朝の暗さは、夜とは全く異なるものだ。朝の暗さは、私に恐怖を感じさせない。

私は、朝にそうして自転車を漕ぐ時間が好きだ。朝の空気は、まだ眠っている体を、ゆっくり目覚めさせてくれる。

そして、その時に決まって思い出すのは、学生時代にホームステイしていた、ネパールでの朝だ。

私はネパールの中でもかなり田舎、ガスや水道も通っていない村に、2週間ほどホームステイをしていたことがある。

水道が通っていないため、毎朝山のふもとまで下り、水汲みをする必要があった。

その村では朝になると、コケコッコー!とあちこちで鶏が鳴く。この鳴き声はどこの国でも一緒だ。

それを合図に目を覚まし、硬い木のベッドから体を起こす。

そして、大きな樽を背負って、その家の子供「ラッチミ」と、水汲みに出かける。

あたりはまだ暗い。空気は澄んでいて、標高の高いその土地からは、霧の奥にヒマラヤ山脈が見えた。

白い息を吐きながら、ただ黙々とラッチミの後に着いていく。

ラッチミはサンダルで、山を軽々と下りていく。

私はスニーカーで、つまずかないように踏ん張りながら、ゆっくり下りていく。

30分ほど山を下ると、水源に着いた。息を切らして、私は丸太の上に腰掛けた。ラッチミはそんな私の横で、手際良く水を樽に入れ始める。そんな私たちを、少しずつ明るくなってきた空が照らし始める。

私も遅れて水を汲む。その水がきーんと冷たくて、ラッチミと私は笑った。

山の中の澄んだ空気に囲まれた、澄んだ朝が好きだった。


日本にいても、朝は澄んでいる。朝特有の、どこか神聖な空気に囲まれていると、私はラッチミの笑顔を思い出すのだ。

きっと今日も、ネパールの朝は同じように澄んでいるんだろう。

そう思い、私は今日も早起きをして仕事に向かう。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?