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ショートショート『空色のくつ』

履けば空を駆け上がれるかのような、軽くて丈夫な空色のくつを作る職人がいた。名は、ディエゴ。彼の工房は、緑豊かな山に囲まれた高台にある小さな町にあったが、その評判は国中に轟いていた。

「ディエゴさん、ありがとう。おかげでまた仕事がはかどるよ」

やって来たのは、鳶職のドミニク。若い衆をまとめる兄貴的な存在で、新入り用に追加注文していた。ディエゴのくつは、建築業や運送業などに携わる人たちに特に大人気だ。

「いやいや、お待たせしてしまって申し訳ない」

エプロン姿のディエゴは坊主頭を掻いた。空色のくつは手作りのため、完成までは時間を要する。それでも、みんな心待ちにしていた。

日が暮れて、本日最後の鐘の音が鳴った。これにて仕事は終了。扉を開いて隣の部屋に足を踏み入れると、ハーブの香りが漂っていた。工房は自宅に併設されているため、壁一枚を越えるだけで、ディエゴはくつ職人からひとりの父であり夫に戻れた。

「パパ、お仕事お疲れさま!」

あと何年かすれば中学生になろうかという息子二人だが、今もこうして近寄って来て、元気に出迎えてくれる。

「あなた、今晩はローストチキンよ。ちょっとハーブを効かせすぎたかもしれないんだけど」

料理上手な妻は自慢の女性だ。ディエゴは、そんな家族が愛らしくてたまらなかった。食卓を囲みながら、その日あった出来事を話す。楽しかったこともあれば、そうでなかったこともある。特に多感な子どもたちなら当然だ。家族全員で喜び、ときには悲しみ、めいっぱい感情を共有し合うのは大切でかけがえのない時間だった。

あるとき、鼻の下に立派な髭を蓄えている男が工房を訪れた。オースティンと名乗った男の職業は一目でわかった。軍服を着ているからだ。工房に通すと、来客用の椅子にドンと腰かけた。

「間もなく戦争が始まることは知っているね。君を見込んで、お願いしたいことがある」

続きを聞かなくても、何を言われるかはわかっていた。

「兵士たちのために、空色のくつを作っていただきたい」

軽くて丈夫な空色のくつ。これを履けば、戦地を縦横無尽に駆け回り、我が国の軍隊は敵国を圧倒できるかもしれない。

「わかりました」

すぐに承諾すると、オースティンは満足げな顔を浮かべた。

「一本、どうかね?」

葉巻を勧められたが、ディエゴが断ると、オースティンはゆっくりと燻らせた。

「なるべく早く、可能な限り大量に作ってもらいたい。国のためだ。理解してほしい」

ディエゴは先約主義だ。これまで注文のあった順にくつを作り、誰かを特別扱いしたことはない。しかし、今回ばかりは仕方がないだろう。そう、お国のためなのだから。

「必要としていただき、至極光栄です」

深々と頭を下げると、オースティンも立ち上がり、握手を求めてきた。

「さすが、我が国一のくつ職人だ。よろしく頼む」

ディエゴは謝罪行脚に向かった。くつを待ってくれているすべての人たちのところに出向き、事情を説明して詫びた。緊急事態であることは誰もが痛いほど承知している。責める人はひとりもいなかった。

それからは、来る日も来る日も一心不乱にくつ作りに励んだ。18時、一日の最後の鐘が鳴っても、作業を終えることはない。新聞が報じる戦況は一進一退で、とにかく自分にできることは一足でも多く早く作り、兵士たちの元へ届けることだと言い聞かせた。

夜中、工房からリビングに行くと、テーブルに伏して妻が寝ていた。帰りを待ってくれたのだと思うと心が安らぐ。同時に、もっと頑張らねばとじんわりと火がついた。

妻を起こさないように気をつけながら2階に上がり、子どもたちの寝室に向かった。二段ベッドの上には次男のヘンリーが、下には長男のアンソニーが寝ている。ディエゴは驚いた。すっかり眠っているものだと思っていたアンソニーと目が合ったからだ。

「まだ起きていたのか?」

「うん、なかなか寝られなくて。パパは今戻って来たの?」

「そうだよ。最近一緒にご飯を食べられなくてごめんな」

「いいよ。パパこそ大丈夫?」

ここまで話して、アンソニーが目に涙をためていることに気づいた。

「少し話をしようか?」

ディエゴたちは、リビングを静かに横切って工房に移った。アンソニーはしばらく黙っていたが、父親に促されてようやく口を開いた。

「僕、寂しいんだ」

息子の本音に胸が締め付けられる。ディエゴは目の裏がじんじんするのを感じたが、力づくで笑い、アンソニーの頭をやさしく撫でた。

「話してくれてありがとう。パパも寂しいよ。同じ気持ちだ。けど、今はがんばらなきゃいけないんだ」

「戦争をしているから?」

「そうだ。この国のために命をかけて戦ってくれている人たちがいる。パパがくつを作ることで彼らの命が少しでも失われずに済むなら、何としてでもたくさん届けてあげたい。それに」

ディエゴは息子の瞳を見つめた。

「この戦争に早く勝利して、平和を取り戻さないとな」

アンソニーは涙を拭い、何度も何度も頷いた。

パサは目を覚ますと、そこがリビングであることにはっとした。背中にはブランケット。ディエゴがかけてくれたのだろう。とても温かい。今朝も早くからくつ作りに没頭しているに違いない。椅子から立ち上がると腰が痛んだ。夫には悪いが、少し横になった方が良いかもしれない。

「おはよう、ディエゴ」

扉を開けた直後にパサは硬直した。

くつを抱えたディエゴが工房の床に倒れていた。

「じゃ、ママ、行ってくるよ」

中学生になったアンソニーとヘンリーは軍服を身にまとっている。ディエゴが過労で急死してから数年、戦争はまだ終わってはいない。

「必ず、生きて帰って来るんだよ」

パサは二人の息子を抱きしめた。別れ際、敬礼する息子たちは凛々しくたくましかった。けれど、誇らしさなんて本当はこれっぽっちもない。力強い足音を鳴らしながら、遠くへ離れて行くアンソニーとヘンリー。その足元は空色に輝いていた。

最後の二足、パサは軍に渡さず隠し持っていたのだ。自宅に入るやいなや、パサは嗚咽した。そして、夫の写真を胸に願った。

「ディエゴ、あの子たちを守ってあげて」

12時、鐘の音は昨日と変わらず今日も町中に降り注いだ。

fn.

★本作品は、短編小説『スマバレイの錆びれた時計塔』のスピンオフです。

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