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ショートショート『彩りはモノクロを越えて』

「昔々、世界には色が無かった」。僕は子どもの頃、そう思っていた。厳密に言えば、色があった事実を信じ切ることができなかった。親が見せてくれるのは、モノクロ写真ばかりだったから。町にも、空にも、着ている服にも、そして、人間にも色が無い。母親に聞いてみたことがある。

「お母さんが小さかったとき、空はこんな色をしていたの?」

「今日みたいな青い色をしていたよ。空は今より綺麗だったかなぁ」

若かりし母親の顔は懐かしい。
 
僕は、モノクロ写真を見るたび、このやりとりを思い出して苦笑いしてしまう。それは郷愁などではまったくなくて、いつまでも軽い反発心を覚える自分に呆れているからだ。

ある時期から、過去を美化しがちな人間の性質というものに苛立つようになった。大人たちは何かあると決まって「昔はよかったのに」と口にする。独り言のように「昔はよかった」と呟くだけならまだいい。最後に「のに」を付け加えることで否定的な意味合いを強く感じて、無性に腹が立った。同情されているような、責められているような、被害妄想といわれればそこまでだが、時計の針を戻せない以上、その言葉に何の意味も価値も見出せない。

もしも「空は今より綺麗だった」なんて多感な10代の頃に母親から言われていたら、不機嫌を丸出しで完全に無視していたと思う。幼少期の淡い思い出は、後に抱いた苦々しい感情で上書きされてしまったのだ。

「おもしろい作品でも見つかりました?」

案内役の女性スタッフに声をかけられ、慌てて取り繕った。取引先に招待された写真の展覧会。壁にはモノクロ写真がずらり並んでいる。

「昔の写真って、眺めていると不思議な気持ちになりませんか?」

僕が曖昧な返事をすると、彼女は写真を見つめながら続けた。

「きっと今の私たちと同じように、喜んだり泣いたりしながら生きていたんですよね。でも、過去が今につながっているのは頭では理解しているんですけど、モノクロ写真の中の世界は、どこか別の星の風景のように感じてしまうんです」

彼女は「何言ってるかわかんないですね、私」と照れながら付け加えると、丁寧に誘導してくれた。隣の展示エリアに飾られていたのはカラー写真。先ほどのモノクロ写真をAI技術で変換したものだ。色を取り戻した写真からは、そこにいる人たちの息遣いや音、においまでが全身に伝わってきた。

「一気に現実感が出ましたね」

「どちらがお好きですか?」

「カラーの方かな。僕、想像力が乏しいから」

彼女は口元に手を添えて笑った。

カラーに変換された古い写真の空は確かに青い。ただ、今より綺麗だとか、まるで思わなかった。

負けてないし、負けちゃいけない。空は今日も、ちゃんと青いから。

fin.

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