Paul・Goman

『オヤジは一日して成らず』。人って、歳を取ってもあまり変わらないもんだな、と思う。一方…

Paul・Goman

『オヤジは一日して成らず』。人って、歳を取ってもあまり変わらないもんだな、と思う。一方で、小さい変化が塵のように積み重なって、無自覚のままどこかが変わってしまっている。歳を取るってそういう事かな。そんなオヤジの独り言です。

最近の記事

知らない土地の知らない喫茶店

妻とドライブに出かけた。どっかに連れていけと言われたので、何処へ行きたいかと聞くと、それはお前が考えろと言う。どっかへ行きたいが、行き先を考えるのは面倒くさいのである。 とりあえず車に乗り込むが、その段階でも明確な目的地は決まっていなかった。そういう時は、北へ向うのがいいだろう。そして、唐突にこんな曲を思い出した。 田中美智子/北へ向かって 着いたのは、北限の茶所として知られる、城下町の風情が残る町だ。町屋造りというのだろう、道路に面した間口は狭いが、奥行きがある建物が並

    • 年初めに思ったこと。

      2024年は、ひどく辛い新年のスタートになった。 元日には能登半島地震。そして、二日は日航機と海上保安庁機衝突事故と続いた。 多くの人達が犠牲になり、世界を見れば、これもウクライナ、パレスチナなどで犠牲者が出続けている。人の命のはかなさに悲しみ、そしてその軽さに絶望的な気分になる日々。 こんな世の中で、自分は今年一年をどう生きて行けばいいのだろか…。 日記を書き始めたのは中学三年生の時だった。それから、新年最初の日記帳には、今年一年を過ごすにあたっての、決意みたいなものを書

      • ニガい、ビール。

        大人に憧れ、早く大人になりたいとを思っていた。わたしは16歳だった。 少年のわたしには、大人は自由に見えたのである。 ただ、その対価としての「責任」に思いが及ぶには、まだ若すぎた。 そして、煙草と酒は、大人の自由の象徴だった。 16歳の春、部活を辞めることになった。放課後、土日にやる事がなくなると、本を読むようになった。その頃、大抵の家には文学全集と百科事典があった。今思えば、それは、背伸びをした「中流家庭」の象徴のようでもあった。 まずは、有名な夏目漱石から読み始めた

        • スタバへ行くことは、なかった私

          においに鈍感である。 洗濯の部屋干しのにおいが気にならない。焼肉した後の部屋のにおいも感じない。 妻に指摘されても、感じないし気にならないものはしかたがない。 そんな男が、喫茶店のコーヒーや飲み物の、香りや味を語ることはできない。 たいせつなのは、落ち着ける雰囲気。 私にとって、喫茶店に行くということは、店の雰囲気と時間を買うこと。 だから古ぼけた、雰囲気のある、歴史を感じるような店が好きだった。 若き日、花の都で生活していたころ、よく喫茶店で仕事をサボっていた。 一人で

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          外食先で悪戦苦闘?

          食後に爪楊枝を使うようになったのは、いつの頃からだったろうか。 妻とまだ結婚する前に、食事に行った際、食後に無造作にシーハーやり始めたら怒られた。爪楊枝を使う時は、手で口元を隠しなさい。とたしなめられたのだ。 デート(など)ではマナーが大切であることを学んだ。 それ以来、外で爪楊枝を使用する際は気を付けるようにしている。 週末の金曜日、夕食を外食することにした。行ったのは、定期的に訪問している喫茶兼洋食レストラン。ここのハンバーグがわたしのお気に入りである。適度なジューシー

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          大きな犬に出会ったとき

          わたしは、大きな犬がこわい。 散歩をしていると、犬と出会うことが多いが、大きな犬を飼っている人が、その大きな犬を散歩させている場に出くわすと、わたしは緊張する。 そのまま進もうか、道路を渡って反対側へ移ろうか、あっ、でも横断歩道がないな・・・。 また突然反対側に渡った場合、大きな犬の飼い主はどう思うだろうか、「逃げた」と思われないだろうか、などと余計な事が頭をよぎり、一瞬立ち止まったりして混乱してしまうのである。 大きな犬は、黒とか濃いグレーとかが多いような気がするが、たまに

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