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書くことをお休みして気づいたこと

少しの間、書くことをお休みしていた。

理由は、書いても書いても、結局は同じところに辿りついているような気がしたから。同じような悩み。同じような想い。きっとこの内容も少し前に書いていると思う。そんな、変わり映えしない自分の頭の中に嫌気がさした、というか。

まぁ、でも、しょうがないよなぁ。
毎日おんなじ仕事して、変わり映えしないメンバーと会話して。おんなじ道を歩いて。おんなじ家に帰って。
べつにそれは悪くない。ていうか、むしろ恵まれている。世界は自分のためだけにあるわけじゃないし、世界がなんとか無事にまわっていて、そこに自分も生かしてもらえていて、もうそれだけでありがたいことなんだけれど。

でも、なんだか、自分の中の大切ななにかが、消え失せていくような気がした。
空をみてきれいだって思ったり。
だれかの言葉に想いを馳せたり。
名前をつけるとしたら、感受性とか、アイデンティティとか、そういうやつだろうか?
わからないけれど。
とにかく、食べるとか、寝るとか、そういうことに比べたら生きていくうえで絶対必要ではないけれど、でも、自分が自分であるためには、絶対に無くしてはならない何かが、死んでいくような気がしていた。

「なんか書かなきゃなぁ・・。」

ぽつり、そうこぼしながらパソコンを開く。
とりあえず、打ってみる。
白い画面に表示される言葉たちは、もはや見慣れたものばかり。自分で打っておきながら、「あぁまたおんなじようなこと書いてるわ」なんて思って。

べつに、同じこと書いちゃダメなんてルールないし、いいんだろうけど。
でも、なんかこのまま書いていても、どこへもいけない気がして。
だから、ちょっとお休みすることにした。



日数にしてみれば、10日間くらいのお休み。
ゆるく続けている人からすれば「そんなもん?」って感じかもしれないけれど、ほぼ毎日書いていたわたしにとってはけっこう長く感じた(更新はしていなくても書いてはいたのだ)

お休みの間は積みっぱなしにしていた本を読んだり。昔好きだった映画を、久しぶりに見てみたり。それなりに充実していたけれど、でも、なんだか物足りない。

そう思いながら、ゆっくりとカーソルを、パソコンのブックマークに保存していた「note」の文字に合わせる。実に10日ぶりのnote。
ただ開くだけなのに、なんだか妙に緊張する。
まるで、同窓会の会場に入る直前のような気分。
なんだか気まずいような、嬉しいような、でも、やっぱり早く会いたい、あの感じ。

10日ぶりのnoteは変わらない表情でわたしを迎えてくれた。やわらかく、飾り気のない様子で。そこかしこに、いろんな人の想いを、言葉を息づかせていた。

あぁ、いつも通りだ。
なんだか安心した。

右上の通知が、お休み前に投稿した記事に「スキ!」をつけてくれた人たちのことを教えてくれる。なかにはコメントまでくださった方もいて。ありがたいなぁ、嬉しいなぁ、なんてあったかくなって。そのままの流れで気になった記事や、フォローしている方の記事を読んだ。

なんてことない日記。
自分の好きを追求する記事。
だれかのためになる記事。

いろんな人の想い、思考が、ただそこにあって。
試行錯誤して悩みぬいて書かれた文章や、逆に「10分くらいで書いたよ!」なんて記事もあって。それはとても自由で。素直で。なんだか無性にうらやましく、そして悔しかった。

あぁ、やっぱり自分も書きたいな、そう思った。

なんだか、書くことが義務のようになってしまったのがいやで、心と脳のデトックスのためにお休みしてみたけれど、やっぱりなんか物足りなかった。でも、そんな自分に気づけたのは、このお休みがあったからだ。


わたしより書くことが好きな人なんて、たぶんごまんといる。文章がうまい人も、いっぱいいる。
そんなことは分かりきっていて、でも、それがなんなんだろう。
同じことを考える自分がいや?
変わり映えしない自分がいや?
それがなんだっていうんだ。
もうべつに、それでいいじゃないか。
ていうか、人生なんて、人間なんてそんなもんだ。変わり映えしなくったって、自分は自分として生きていくしかないんだし。
あれがいやだ。これがない。
めんどくさい!でも生きたい!
そんな風にわめいたと思ったら、次の日には推しのことを幸せそうに語っていたりする。そんなめんどくさい自分を、ときに甘やかし、ときにケツをぶっ叩いたりして、そうやって生きていけばいい。

もはや何が言いたいのかわからなくなってきたけれど、でも、とにかくなんか書きたかった。
うん。好きだなぁって思ったんです。
いろんな人の言葉が、想いが。
自由にキラキラと息づいているこの場所が。
そして、それにまんまと触発されて、こんな文章を書いている自分も、まぁ悪くないなって思います。


(そういえば、お休みする前に書きなぐった下書きたちが溜まっているのだけれど、その子たちを読み返してみたら、なんか笑えてきて。
ぐちゃぐちゃで、あーだこーだどうしようもないこと言っているけれど、それは紛れもないわたしの思考のカケラたちであって。親バカかもしれないけれど、なんだか愛おしいな、なんて思って。
その子たちも順次大放出していこうかなと思ってます。少し前に書いたから、今の気持ちとは多少ずれていたりするけれど、でもせっかく書いたしもったいないよね!ってことで。)

(↑カッコ長くね?)

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