見出し画像

ネコにはなれない

今日、2匹のネコを見かけた。

1匹はグレーがかった毛並み。もう1匹は、グレーの子よりも体が大きくて、茶色と黒が混じったような毛並みをしていた。

親子?恋人?それとも、ただの友達?

つかず離れず、微妙な距離感で歩く2匹。

・・とそれを邪魔しないように、これまた微妙な距離から見守るわたし。


グレーの子が、急に道路のまんなかで寝転がった。

背中がかゆいのだろうか?

肌を地面にこすりつけている。

連れのネコも、周りの人間もお構いなしに、ゴロゴロと、縦横無尽。

もう1匹は、そんなグレーをかばいながら、周りの様子を観察している・・ように見えた。

なんだか、まるで人間みたいだな、と思う。

自由奔放なタイプと、それに振り回されながらも世話を焼かずにはいられないタイプ。

こういう二人組いるよなぁ、なんてのんきに観察していると、世話焼き(かもしれない)ネコが、わたしに気づいた。

その瞬間、「人間だ!人間がいるぞ!」とでも言ってそうな顔で、相棒とわたしの顔をいったりきたりする。

その声に応えるように、のっそりと起き上がったグレーは、ふいとこちらを振りかえる。その顔はまるで

「なんだ、ただの人間じゃないか」

とでも言っていそうな、貫禄のある顔だった。

再び、つかず離れずの距離で歩いていく2匹を見ながら、ふと思った。

あの子たちには、世界はどんな風に見えているのだろう?

わたしよりも、うんと低い視点で、いろんなものを見ている。

地面を歩くアリとか、小さな虫とか。

人間の何倍もいい耳で、いろんな音を聞いている。

きっと、わたしが持っているビニール袋が奏でるガサガサという音は、あの子たちにとっては、ものすごくうるさいんだろうなぁ。

もしかしたら、あの子たちからすれば、わたしは巨人みたいに見えているのかもなぁ。

人間よりも、何倍もいろんなことを感じながら、なにを思っているのだろうか?

「生きる意味」とか、考えるんだろうか?

それとも、なんにも考えていないのだろうか?

お腹がすいたら食べて。眠くなったら寝て。

背中がかゆくなったら、道路で寝っ転がって。

「本能の赴くまま」ってやつだろうか?

それはなんだか、とてもうらやましい。

人間は、考えることが多すぎて、たまにどうしようもなく疲れてしまう。

「もう感情なんてなければいいのになぁ」

なんて思うこともある。

人間だって動物なんだから、ネコみたいに生きてもいいはずなのに、なんとなく、世界が許してくれない。

いや、許していないのは、自分自身なのかもしれない。


人の少ない路地裏。

沈みかけた夕日に照らされた道路を、てくてくと歩いていく2匹。

その2匹を品定めするカラスが、電柱にとまっていた。

にらみ合う2匹と1羽。

その様子をみながら、また思う。

あの子たちが、難しいことを考えずに生きられていたとしても、あの子たちには”人間にはない危険”がたくさんあるんだ。

カラスに狙われたり。

車にひかれてしまったり。

人間よりも、いろんな病気にかかりやすいかもしれない。

その点、わたしは守られている。

住む家があって、食べるものもあって、病気になったらすぐ病院にだっていける。

いろんなものに恵まれすぎているからこそ、生きる意味とか、考えちゃうんだよなぁ。

「あの子たちがうらやましい」なんて思うのも、結局は”ないものねだり”なんだよなぁ、なんて。

そんなどうしようもないことを考える人間なんてお構いなしに、にらみ合いを続けていた2匹と1羽。

しばらくして、カラスはその場から飛び立っていった。

人間にはわからない自然界の攻防(?)が、あったのかなかったのか、とにかく、ネコが勝ったらしい。

貫禄すら感じる後ろ姿で去っていく2匹は、なんだかかっこよかった。

自分が自分であることを、1ミリも疑っていない。

ネコという生き物として、堂々と生きているように見えたから。

やっぱりうらやましいな、なんて思ってしまうけれど。

でも、どうあがいたってネコにはなれないから。

だからわたしは、最期の瞬間まで、どうしようもないことを考える人間として生きていくしかないんだな、と思った。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?