見出し画像

「知って、書いて、伝える」。その先にはなにがあるんだろう?

noteを書くようになって気づいた。
”浅瀬でちゃぷちゃぷ状態”から抜け出すのはなかなか難しいなぁ・・と。

なんのこっちゃ?とお思いでしょう。
えぇ、そうでしょうとも。
ちょっとわたしも勢いで書き始めたので()、うまく整理できてないんですけど、がんばって説明してみるのでどうか帰らないで。

まず、わたしがnoteをはじめた動機は、自分のなかにずっとあった「うまく言葉にできないモヤモヤ」を言語化してみようってことだったんです。

そして、そのモヤモヤを
「わたしこう思ってるんですよ~」
とシンプルに、正直に書いてしまうのが「浅瀬でちゃぷちゃぷ」状態。
この状態だと、わりと素直に書いているぶん”共感”してもらえることは多いと思うんですよね。(まぁ正直これが一番うれしいんですが)


その「浅瀬でちゃぷちゃぷ状態」から、さらに先のステップ。
「そんな考えもあったのか!」と発見があったり、「なんかわからんけど余韻がすげぇ・・」と”その人の内側をくすぐる”ことができたり。
その段階までいくには、技術ももちろんですが、自分自身の経験を深めたり、この世界に起きている事実をちゃんと知らなければいけないんだなと。

世界のことを書くには、世界のことをもっと知らなくちゃいけない。
だれか特定の人のことを書くときは、その人のことを隅から隅まで知らなくちゃいけない。
自分のことを書くなら・・もっと自分と向き合わなくちゃいけない。

なにをあたりまえのこと言ってんだって感じですが、わたしはこのことに気づいたとき、正直しんどいな・・って思ったんです。

だって、なにかについて深く知るって、ものすごくこわくないですか?

わたしは昔から、人間関係において「深い関係を築くことが苦手」だったんです。
人と出会う。
その人のことを知る。
自分のことも知ってもらう。
そうやって一緒に過ごす時間が増え、お互いについて知れば知るほど、仲が深まっていくんだと思うんですが、その工程を重ねるほどこわくなっていく自分に気づいたんです。
なんでこわいんだろう?
その感覚を深堀りしていくうちに、なんとなく見えてきた答え。

相手のことを知りたくないんじゃない。
自分のことを知ってほしくないんじゃない。
むしろその逆で。
相手のことをもっと知りたい!
自分のことをもっと知ってほしい!
もっと深い関係を築きたい!!
その欲求が”とめどなく溢れてくる自分がこわくなった”んです。


なんていうんでしょうか・・。
かんたんに言ってしまえば「重い人間」。
(しかも、たぶん超ヘビー級)
知りたい!と思ったら、どこまでも知りたいし、自分のことも垂れ流してしまうと思って、そんな自分に無意識にブレーキをかけてたんですよね。

周りの人はもっと軽く、ライトに。
あまり深く考えすぎずに関係を築いているような気がして、「あ・・なんか自分やばい・・」。そう思ううちにどんどん及び腰になり、とうとう人との距離感がよくわからなくなる・・なんてことになってしまいました。

これは人間関係以外でもそうで、読書して気になったことがあると、とことん調べたくなるし、映画をみてなんともいえない感情になったとき「この気持ちはいったいなんなんだ・・!?」と、延々と考え続けたり。

・・で、これが楽しいだけならいいんですけど、”知る”ってとんでもなくエネルギー使うんですよね・・(わたしの場合)
「知りたい!!」と思って、そのままの勢いで調べたとしても、気づいたらべらぼうに疲れていて、それ以外のことはもうノーサンキュー状態というか・・。

しかも、生きるって忙しいじゃないですか?
仕事して、ごはん食べて、歯磨いて、お風呂も入らなあかんし・・もうやること多いわ!!って思うんですけど。その”生きるためのこと”をしてたら、それだけで時間とエネルギーが消費してしまって、”知る”ことまで手が回らないんですよ。

はぁ・・だいじょうぶでしょうか。
何言ってんだこいつってなってますかね・・。
まぁわたしが一番思ってるからいいか・・(なにが?)

まぁそんで、noteの話に戻りますと、noteでは「自分のなかに潜んでいたモヤモヤ」を言語化してみてるわけで、そうなるとおのずと”向き合う対象は自分になる”んですよね。

これがもうねぇ・・死ぬほどめんどくせぇ!!


今日は「こんな感じだぜ・・キラリ」みたいなカッコつけの日があったとしたら、次の日には「もう世界なんてしらねぇ・・」ってやさぐれてたり、と思ったら次の日は「わたしはあなたを救いたい!」みたいなヒーロー期が訪れてたり・・。

わたしの性格的にかっこつけてしまうことが多くて、ほんとうに思いっきりアッパーかましたい気分なんですけど・・。
それでもっと素直にいこう!と思ったら、素直すぎて大事なことはしょってたり・・。(いまも)
ほんとうの心の奥の奥、ピュアなやわらかい部分を言葉にするって難しいんだなぁと。
それを的確に表現するためにはもっといろんな経験をして、いろんなことを知らなきゃなぁって思うんですが・・知ることは大変で・・と冒頭の話に戻ってくるわけです。

正直これに関しては、答えはでていません!いまのところ「自分のペースでやるしかない」というなんの面白みもない答えになってしまいました!
自分のペースで吸収しながら、せっかく吸収したことはアウトプットしていく。(読書感想文や映画についても書いてみたい)

そして自分のことに関しては、エッセイだけでなくいろんな表現もしてみたいなと思っています。
その一歩として、このまえ初めて詩(もどき)をかいてみたんですが、こういうのも、なんかいいなって。

正直、自分についてはわかりやすく伝えられるものだけじゃない。
自分でもよくわからない、見え隠れしていた情景というか、絵みたいなもの。
それをむりやりわかりやすい言葉にする必要はないんだろうなと思っています。
まぁ”詩”なんてものすごく奥深くて、わたしみたいな新参者が語っていいものではないんですけど。でもせっかくなんで、いろいろ勉強しながら挑戦していきたいなと思います。

世界について、人間について、心について。
そして自分について。
知って、向き合っていくこと。
ものすごくこわいんですけど、でも、その先になにかがあると信じているから、わたしは知りたいんだろうなとあらためて気づきました。

そしていまこの気づきを、こうやってちゃんと書いて、だれかに伝えてみようとしている。
たぶん、現実世界で実際にだれかに対面してこの話をしろって言われたら、わたしはまだ話せないと思います。
このブレーキはかんたんに外れそうにないです。
まぁ、そこはこれからじっくり、マイペースに。
まずはこのnoteで練習させてもらいたいと思います。

「知って、書いて、伝える」

この先になにがあるのか、超ヘビー級に重い自分にふりまわされながら、探ってみたいと思います。
そしてそして、いつの日か、わたしの言葉にであってくれた人の心に寄り添えるような、そんな文章が書けますように。




この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?