見出し画像

コラム「初めての試み」

私の家は生まれたときからボロかった。

まず玄関の引き戸に砂利や砂が入り込むと、いとも簡単に機能しなくなる。
じゃりじゃりと鳴るうるさい引き戸を前に、反抗期中の兄はしょっちゅう苛立ちを露わにしていたものだ。
玄関への怒りなのか、それともまた別の原因があったのかはさておき。

二階のベランダも落下しかねないほどに赤く錆付き、手すりは頼りなく折れ曲がっている。
もはや足を踏み入れることは生きるか死ぬかの瀬戸際で、天井の雨漏りはもちろんボウルで受け止めるのが日常茶飯事であった。

一方、厄介な玄関の引き戸とは対照的に、猫でも容易く侵入できるほど脆弱な引き戸もあり、おまけに鍵も壊れているため野良猫が食料を食い荒らしている光景も珍しくなかった。極めつけは就寝中にネズミが目の前を横切ったこと。


トイレも当時ではすでにめずらしい「ぼっとん便所」。まわりの家のほとんどは水洗トイレへ移行していたため、汲み取り屋の車(バキュームカー)を見るたびに、子ども心に「どうか家には来ないで」と真剣に祈ったものだが、無情にも庭に停車した。
クラスの子たちにサンポールとウジ殺しを駆使していたことなど、絶対に知られたくないし、格好もつかないだろう。
そういった理由から家に人を招くのは到底無理だと思い、寄せ付けない術ばかりが磨かれていった。

さて、依然として変化のない家で私は中学に上がった。そのころになると携帯電話(ガラケー)を持ち始める人がちらほらと出始め、さりげなく得意げに携帯をアピールする先輩たち。
「着うた」「ダウンロード」「掲示板」などと好奇心がそそられる言葉が飛び交う日々。

私は勉強そっちのけで暇さえあれば母親にねだり、やっとこさ手に入れた。
その「希望そのもの」をなんと、まさかあのぼっとん便所に落とすとは・・

それは突然やってきた。付け加えるまでもないが、便所は「しゃがむタイプ」だ。
しゃがんだ際に身に覚えのない音が聞こえた。ボトッっと。
「あれ?大便なんてしていないのに何の音だろう。え、嘘だろ?」

未だかつてない絶望感に襲われた。

それでも不思議と体は動き、「そうだ!カギだ!!」と、咄嗟に漁師である父の仕事道具が浮かんだ。カギはアワビやウニを採るもので先端には2本の鋭い爪が付いていて細い竹のように長いのが特徴である。
この時ばかりは塩と小エビとタバコ臭にまみれた父親に感謝したくなった。


「一筋縄ではいかないぞ」と覚悟を決めて、
ミシミシと今にも床が抜けそうな便所に、いそいそと懐中電灯とカギを運んでいく自分。傍からみれば奇行である。

ふっと「そもそも、故障していたのなら意味がないのでは?」と冷静な疑問が浮上した。

しかし「もし壊れているなら、潔く身を引いて諦めよう」と失恋さながらの決意を固めて、まず脈の確認をとるために自宅の固定電話へ向かった。暗記した自分の番号を素早く押し耳をすませば、聞き覚えのある着信音が微かにぼっとん内から聴こえてくるではないか。
どういった作用なのか俄然、力が湧いてきた。

結果、携帯電話は故障することなく無事に救出されたが悪臭によって3日間ほど使い物にならなかったのは言うまでもない…。
この救出大作戦を成功させた実績を将来に生かせるよう願うばかりだ。


(2020/11/14  石巻日日新聞 「潮音」掲載)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?