自己及び他者との交流形式としての精神

NHK、Eテレ『欲望の時代の哲学2020、マルクス ガブリエルNY思索ドキュメント~第三夜 闘争の資本主義を越えて』から

【精神 Geist ドイツ観念論の観念論たる由縁ww】

人間の生活とは精神である。それは人間が精神によって物、他者と意味の次元で結びつきながら生きていることを意味している。カロリーで生存する(生存形式)のに対して食事を楽しみながら生きる(生活形式)。

精神とは私たちが意味の次元で生きていることを意味している。私たちは意味ある経験を欲する。だからタンパク質とカロリーだけではなく芸術やおいしい料理を楽しむ。

【意味の場への存在論】

窓ごとに異なる対象が見える。どの窓にも意味の場が存在する。社会はそのように機能している。(Fields of sense)

窓にはあなたのかっての人生の一部が現れ重なり合っている。他人と共有する歳月があり、常に関係し合う多様な視点が絡み合っている。

カント的な時間的・空間的カテゴリとしての主観性、間主観性

子どもの頃の体験が意味ある現実の正しい体験であることを、大人を前提とした現在の社会モデルは忘れていないだろうか。勝ちか負けかだけを社会の唯一の物差しにする人々の認識を変えることはできるのか。

→クリスチャン・マスビアウ(経営戦略コンサルタント)

個人を集合体の部分として扱う大手テクノロジー企業の統計的世界観に対する人文科学の新しい集合知を提案

人間の体験を統計として説明することはできない。

「エビデンスは?」、統計学的数値のヘゲモニー、「心のマネージメント」の方向」、「統計は個人を「主体」としてではなく、たんなる「一」として扱う」(立木康介『露出せよ、と現代文明は言う』河出書房新社2013年,p.249)〕

リアリティとは物としての量ではなく基本的に質的なものとして捉えなければならない。経験は数字では捉えきれない。

ハイデガーの技術論は現代のビジネスの世界にこそ向けられたもの。

世界を技術的な目で見る人は周りのすべてが最適可能な資源(resources)に見えてしまう。かって森は神々が暮らす神聖な場所だったのが、今では営利目的で何かを作るための木材の供給源になってしまった。土地はマンションを建て営利を追及する以外のなにものでない。問題はこのような考え方が人間にも関係してくるということ。子どもにさえ就職市場に向けて最適化を図ろうとする。ビジネスの技術論では人間さえも代替可能な資源として扱われる(人材 Human resources)。ハイデガーはそのような技術観がもたらす結果を恐れていた。

【総かり立て体制 Gestell】

近代技術の本質は、技術が人間を自然の利用へと徴発し、生産へと駆りたて続ける。歯車は止まらない。いつの間にか人間の思考そのものが生産性の視点のみへと駆りたてられ、すべての人間が消費財となる悲喜劇が待っている。

新実在論は、社会を単純化できない複雑な社会として理解することを教えてくれる。社会の複雑さを軽減することはできない。

〔新自由主義者たちの言説の分かりやすさ、「あいつらが既得権益を貪っているからだ」、大阪維新の改革幻想〕

正義を達成するために必要なことはすべての視点が意味あるものとなるよう窓を再配置しなおすこと。生きる意味を求める人間の探求は幻想ではない。社会ダーウィニズムを克服し、意味ある生活の経済を手に入れることが目標。地球上のどんな人も意味ある人生を歩む可能性を持つべき。

社会の複雑さから逃れ、単純明快な価値の尺度を求める人々。しかしそのことが生きる意味の多様さを味合うことを忘れさせ、むしろ苦しみとなってるとしたら。互いを消費し合い、競争に駆りたてるものは、自らの内なる思考にあるのか。

闘争のジレンマを超える思索は続く。



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