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「いいね」が歪むとサービスが衰退するよねというお話。

「いいね」というリアクション機能により、人々の支持が可視化されるようになりました。

わざわざ「ありがとう」「すごいね」という程ではないけれど、何かしらリアクションしたい。

そういった投稿に「いいね」ボタンが押され、その数量によって評価され、バズにつながります。

「いいね数」はただの数字にすぎないですが、ヒトの意思によって行われるその行為(タップ・クリック)は、現代社会では大多数の意見として扱われ、時として時代を動かすムーブメントになることもあります。

例えば2016年に書かれたブログ「保育園落ちた日本死ね!!!」は大反響を呼び、国会で保育園の待機児童問題の議論が活発化されるなど社会現象にもなりました。

そんな社会を動かしている「いいね機能」ですが、サービス実装側で考えると、サービス普及のきっかけにつながる大事な機能でありながら、いいね機能を歪まず維持していくには大変な非常にデリケートな機能だなと思っております。

■ リアクションのタブーを犯してしまった列

「質問箱」というサービスが2017年頃から拡がりました。
個人宛に誰かから質問が届き、それに答えていくという「手軽さ」と「質問されている = 頼られている」と感じ、「いいね」とは違った承認欲求が満たされることもあり、拡がっていきました。

しかしある時、途中から普遍的な質問が届くようになりました。

・「月曜日って好きですか?」
・「早起きは得意ですか?」
・「付き合ってもいつも長続きしないんだけど何がいけないんだろう?」

のような、誰に届いても質問できるようなフワッとした内容の質問です。

結論を言うと、運営が本当の質問と運営が用意したbotの質問を混ぜていたのです。元々は「質問 = 誰かから届いた質問」という仕様だったのが、そのいくつかの質問の中に「運営側が用意した質問」が混ぜてしまいました。

それにより、「誰かから質問が来ている!答えなきゃ!」と親身になって回答しても、その仕様の変化に気付いている人にとっては、

「運営側が用意した質問に積極的に答えるユーザー」 = 「誰かに質問されていると勘違いして回答してるイタイ奴」

と冷ややかな目で見られるようになってしまいました。

せっかく質問への回答というリアクションをしたのに、実はbotに答えていたというのが、暗黙知として広まるようになり、多くのユーザーが離れてしまいました。

その前にも自問自答しているユーザーが120人のうち100人いると公式の暴露が炎上し、騒動が起きていました。

もしTwitterのいいねが、botが一定数押しているという仕様だったら、いいね数に意味が薄れて、使わなくなりますよね。

SNSはリアクションを楽しむのが主要機能のため、そこに気づかない形でbotを介在させたり、ハックできてしまうの機能は上手くないように感じます。

■ どうすべきか

・Youtubeのモチベーションであれば「再生数・いいね数」
・Twitter・Instagram・Facebookであれば「いいね数」

当たり前の話ですが、これらをリアクション総数をユーザーも運営側もハックされない・できない用にするのがベストだと思ってます。

「いいね」のようなリアクション機能はサービスを大きく伸ばすきっかけになりますが、取り扱い方によってサービスの信頼性を損なう危うさを秘めています。健全に楽しめるリアクション機能作っていくことが大事だと感じます。

参考


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