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働く女性の介護体験記(1) 延命治療を望まなかった母

私は今から10年近く前に、約3年間、80歳すぎの母親を、働きながら介護したことがあります。

今思い返せばその介護の体験を「なつかしい」と思うこともありますが、当時はそれなりに大変でした。

ここで、一度、この介護の体験に関する断片的な記憶を整理して、自分の頭の中の引き出しにきちんとしまうことが必要かなと思いました。

そこで、私が母親を介護した時に、どのような体験をし、どんなことを学んだのかを、発信して、皆さんと共有できたらいいなと思います。

今日は第1回目なので、母が介護状態になるきっかけとなった、心臓の病気で倒れた時のことを説明します。

今日皆さんへお伝えするメッセージは「”延命しない”という意志をつらぬくのは、意外と難しい」と言うことです。

1:母が倒れた夜

ある夜、私は自分の部屋で静かに仕事をしていました。すると、母の寝室から私を呼ぶ、か細い声が聞こえきました。

そこで「どうしたの、お母さん」と私が寝室へ行きました。すると、母は布団の上に座って、うつむき加減で、「胸が痛い」と言いました。

普段から母は胸が痛いと言うことがあったのです。しかし、その時の様子は普段と違い、状態が深刻なものであることはすぐにわかりました。

私は確認するために「お母さん、背中も痛い?」と聞きました。

というのは、私の母はもともと直径5センチの大動脈瘤がありました。もしかすると破裂するかもしれないと主治医に言われていました。

それで、背中が痛いということは、その動脈瘤が破裂しかけているに違いないと私は判断しました。

そこで、すぐに救急車を呼ぶために119番に電話をし、状況を説明し、母親の主治医のいる病院へ搬送してもらいました。

検査の結果、私の予想した大動脈の破裂ではなかったのです。かわりに、大動脈解離(大動脈を構成する3層の膜が分離してしまった状態)という状態であることがわかりました。

これは、助かるかもしれないということです。ただ、深刻であることにはかわりはありません。

時は夜中でしたが、他府県に住む姉にだけは連絡しました。

多分、一般の人はこのような場合に不安になると思います。でも、私は看護師の資格をもっているので、このような場面に何がおこり、そして自分に何が期待されているのはを予測することができました。

なので、パニックにもならず緊張もしていませんでした。

ただ、次に予想しなかったことが起こるのです。

2:母の意志に反して延命してしまった私

検査の結果の説明の後、医師が聞いてきました。

「お母さんは、手術をしなければ2時間後には確実に亡くなります。で、どうしますか?」

つまり、手術をするのかしないのか、言い換えると延命するのかしないのかを聞いてきたのです。

私の母は、数年前にリビングウィルを自分で書いていました。そこには、「延命処置をいっさい拒否します」という明確な意志表示が書かれていました。もちろん、私はそのことを知っていました。

なので、私はその医師に「母は延命は希望していないです」と答えました。

しかし、医師は「お母さんではなく、あなたはどうしたいのですか」と苛立って、再度聞いてきました。

なにしろ、すぐに処置をしなければ母の血圧はどんどんさがってきていました。延命をするのであれば一刻の猶予もありません。

答えを急かされた私は、「では、手術をお願いします」と答えました。

そのやりとりをストレッチャーの上で聞いていた母は、「もう死なせてちょうだい」と声を振り絞って言いました。

しかたなく、私は母に「お母さん、そういうわけにはいかんのよ」と言っていました。

そして、医師は「わかりました」と言って、あわてて母に処置を開始することになります。

この時、私は心の準備ができていなかったのです。リビングウィルはあったものの、母が死ぬことに対して覚悟ができていなかったのです。

結果から言うと、私の母はその後大学病院へ搬送され、10時間にわたる手術の後、命をとりとめて、その後3年間生きることになります。

3:本人よりも家族の意思を尊重する日本

皆さんが私の立場だったらどう答えますか。

私はこの時まで、リビングウィルを書いているので、母は延命処置をされることなく、死んでいくものだと信じていました。

しかし、実際はリビングウィルは効果を全く発揮せず、結局母の意思に反して延命がなされてしまったのです。

後日、介護が必要になって、つらい思いをして苦しんでいる母から「私は手術をしてくれとは言わなかった」とずいぶん責められたんです。

この時は、私が手術をしてほしいといわなければ、母はこんな辛い思いをしなくて良かったのにと一時後悔したこともあります。

アメリカでば、 "DNR (Do-not-resuscitate = 蘇生を拒否する)order” とう意思表示を医師と協議の上作成します。これには医師の署名があるのです。

この書類があると、家族が懇願しても本人が延命されることはないのです。

日本でも事前指示書やリビングウィルはあります。しかし、アメリカのように医師の署名が入った正式なものではなく、実際は利用されないことも多いといわれます。

つまり、事前に意思を表明しておいたとしてもあまり効果がない。特に救急のようは場合には本人の意思決定の能力がないとみなされます。

日本では、まだまだ家族の意思が本人の意思よりも優先される場合が多いかなと思います。

4:家族と関係づくりは日頃から

では、このような社会において、私はどうしたら良かったんでしょうか。

これについて、ある病院の院長先生と話している時にヒントをもらいました。

介護が始まって2年近くたったころだったと思います。母が別の病院に入院することがありました。

この時に、母を見てくれたその病院の院長先生に、実は母親は心臓の手術を希望していなかったのに、私が助けてしまったという話をしたんですね。

するとその院長先生がおっしゃったんです。

「お母さんは”死ぬ準備”ができていたんですよ。家族のあなたはそれができていなかったんじゃないですか」と言われたのです。

そして「お母さんが亡くなってもいいと思えるようになるために準備そしなないといけないんです」と。

私はああそうか、と自分と母とのそれまでの暮らしをふりかえってみたんですね。そうすると、確かにそれができていなかったことがみえてきました。

リビングウィルを書くことが今とても推奨されています。それで、私も母と一緒につくてちました。でも、作成しただけではだめだったんですね。

大事なのは、親に亡くなられても後悔しないような関係づくりをしておかないといけないことなんです。

私は母と二人でくらしていたんです。でも、仕事が忙しくて母の話をほとんど聞く時間はなかったです。

きっと、母は私が仕事をしている間に、家で編み物や縫い物をしたり、食事の支度をして、いろいろなことを考えていたのでしょう。

そんな気持ちを何一つ聞くこともなく、母と一緒にでかけることもほとんどありませんでした。

謝りたいなと思っていたこともたくさんあったけど、「ごめんなさい」と一言もいったことがなかったです。

だから、私はあの時母に死なれたら「あれも聞いていない」「あれも謝っていない」と母親との関係で精算できていないことがたくさんあっったんです。

その後悔を、一生抱えて一人で背負うことになるのが怖かったんです。

その後3年間母が生きてくれたのは、私が選んだ道ですから、私は一生懸命介護をしました。

結果としては私は生きてくれた母に感謝しています。

でも、母にはちょっと辛い3年間だったかもしれません。

ということです。ではでは。


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