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私の留学体験記(4) 異国の地で信用されるとは

カナダのトロントに30歳後半から40歳前半にかけて留学した私の体験談シリーズ第4回目です。

今回は、私が英語を流暢に話せなかったことと、カナダ社会のアジア人に対する偏見のために、私が社会から信用を得られずに苦労した話です。

異国の地において、「語学学校の学生」というのは、とても中途半端な立場です。

なぜか。

語学学校の学生とは、市民でもない、移民でもない、働いて収入があるわけでもない人たちです。語学学校はだれでも入ることができます。

逆に考えてみましょう。日本にくる語学学校の学生を想像した時どうでしょうか。

日本語や英語がカタコトしか話せない語学学校の学生を、みなさんは簡単に信用しますか。それは難しいですよね。

でも、当時の私は自分がそんな立場にいるとは気づいていませんでした。

1:言葉も話せないのに異国の地へ

私は、英語がまったく話せない状況でカナダへ行きました。

英語の読み書きはある程度できましたので、新聞をみてカナダで何が起こっているのかは理解していました。

しかし、他者からの信用はその人との日常会話を通して形成されます。

言葉を返せば、言語でのコミュニケーションができないと、一般社会からの信用を勝ち得ることができないと言うことです。

では、英語が話せない私が最初に遭遇した困難はなんだったでしょうか。

2:銀行で口座が開けない

それは、銀行の口座が開設できなかったことです。

語学学校に通い始めてすぐに、寮で同室のペルーから来た同じ語学学校の留学生と一緒に近くの銀行に行き、口座を開く手続きをしようとしました。

まず、ペルーの留学生が銀行員と交渉し、口座を開設しました。そして次は、私の番です。しかし、行員は私に対しては口座は開設できないと言いました。

なぜか。

その時理由はわかりませんでした。多分理由を言われたのだと思うのですが、私には行員の英語はわからなかったのです。

仕方ないので、日を変えて別の銀行へ出向いてみました。しかし、結果は同じくダメです。多分3つくらいの銀行の支店は回ったと思います。

後で思い返すに、ペルーの留学生が口座開設がすぐにできたのは、この留学生が自国の銀行の行員をしていたことで手続きを熟知していたこと、かつ、英語も堪能であったからです。

つまり、この留学生に対するカナダの銀行の行員の受けがよく、信用されたのだと思います。

一方私はといえば、ペルーよりはずっとGDPの高い日本から来ているにも関わらず、英語力のなさで、信用が得られなかったと言うことです。

事前に調べた情報ではすぐに口座が開設できるとあったので、口座がすぐに開けなかったことが私にはショックでした。

しかし、何回か銀行を回るうちにわかってきたのは、私のような人間が口座を開設するには、カナダ政府発行のIDカードが必要なんだということです。

なんと面倒なことでしょう。免許証なくても口座開設している人はいくらでもいるのに。

でも、しかたありません。信用してもらえないのですから。

そこで、私は領事館へ行き私の日本の運転免許証の英文証明書を発行してもらい、それをもってカナダの免許証を発行する機関から、オンタリオ州の運転免許証を発行してもらいました。

結果、すぐにカナダの銀行で口座を開設することができました。

3:泥棒よばわりされた

ほかにも、社会的信用という点では、困惑した事件があります。

それは、私は何度も「泥棒よばわり」されたとうことです。

留学前は、公務員であり、大学の教員でした。ですから、私は日本では、「泥棒呼ばわり」されたことは一度もありません。

日本では、私の日本語の会話能力をもってすれば、社会的信用を得ることはそんなに難しくなかのです。

でも、日本にいる時はこの当たり前のことに全く気づいていませんでした。

ただ、この「泥棒呼ばわり」ついては、言語能力だけでなく、アジア人に対するカナダ社会のもつ偏見も作用したと思います。

具体的に2つの事例を話します。

一つ目。ある日スーパーのレジで支払う金額をまちがえて少なめにお金を出した時に、レジの店員は「ちょっと、あなだの鞄をあけて」と私に言いました。

何が起こったのかわからず、きょとんとしているとその店員はさらに大きな声で ”Open your bag!" と言ったのです。

つまり私がお釣りを間違えたことを、「誤魔化そうとしている」と勘違いし、そんなことをする人は万引きをしたに違いないと確認したのです。

多くの客がいる中私は尋問されているようで、とても恥ずかしく、そして悲しい思いをしました。

二つ目。これは、履修している科目の担当教授から、自分の本やペーパーウェイトを私が盗んだと勘違いされたことです。

質問をするためにその教授の研究室を訪れていた私は、教授から10分ほど席をはずすのでそ待っていてほしいといわれ、一人で研究室待っていました。

もどってきた教授は、「あなた見せたい本があるの」と言いながら、その本を探し始めました。しかし、とても散らかった机の上から教授はその本をなかなか探すことができません。

わたしはその光景をぼんやりと眺めていました。

しかし、そのうち、教授は「あれ、本がない」と不安そうに言いました。そして続いて、「おかしいわ、ここに置いておいたのに」とそわそわし始めました。

そして、そのうちさらに、「あ、ペーパーウェイトもない。あれは私のおじいさんにもらった大切なものなのに」と言い出しました。

しかし、そのうち教授は静かな顔をして、私の顔をじっとみて、そしてその目を私の持っていたバックパックに移しました。

この時、私は「えっ、もしかして私のこと疑っているの?」と気づいたと度同時に、唖然としました。

結果として、本もペーパーウェイトも見つかり、私の疑いは晴れたました。

4:アジア人に対するイメージ

この教授の態度には、私の言語能力の低さが信用を勝ち得られなかったというよりも、どちらかと言うと、アジア人に対する偏見が含まれていると思います。

カナダ人のアジア人に対するイメージの一つに拝金主義があります。つまり、「儲かれば何をやっても許される」というイメージです。

知り合いの一人のカナダ人は、日本をイメージするものの第一に「トヨタ」を挙げましたし、また、別のカナダ人は「お金儲けようとする人は皆アジアから来るよね」と皮肉っぽくいいます。

カナダ人は国家元首をイギリス王室にもつ高貴な民族だと思い、それに比較すると、日本人は品格に欠けると思っているかもしれません。

あるカナダ人は「アジアの文化って西洋文化よりも劣っているよね」と驚くことを言う人もいます。私は「それは優劣ではなく、違いでしょ」と修正していますが。

このようなカナダの人の文化的な優越意識が、もしかすると、私が泥棒呼ばわりされることにもつながっているのかなとも思います。

私の勘違いかもしれませんが。

4:実力がない時は見た目が大事

しかし、信用を得るという点で、別の見方もあります。

これは、私の母から言われたことです。

銀行口座の開設にまつわる苦労話や、泥棒呼ばわりの話を帰国して母に聞かせた時に言われました。

「ちゃんとした格好してたの?」、「人は見てくれが大事だからね」

なるほど! そういえば、カナダについてから、私はお化粧もせずに、身なりもほとんど構わずにいました。

なにしろ、毎日毎日語学学校でサバイバルするのが精一杯で、身なりに気をつかうところまで余裕がありませんでした。

たしかに、英語が話せない、無収入の人が、社会から信用されるためには、最低限身なりはキチンとしていないとダメですよね。

私は日本で大学に勤めている時に、学生に、就職の面接や実習へ行くためには、「第一印象が大切だからね」と言ってきました。つまり外見は意外と大切だと言うことです。

なぜかというと、学生は「実力が不十分」なので、そんな学生が企業や、実習先の指導者から信用してもらうには、「ああしっかりした学生だ」とおもてもらうことが必要です。

そのためには、コミュニケーション能力がまず大事ですが、それ以外では、「外見」は大事です。

結構、第一印象はその信用づくりに影響します。

働きだして実力が身に付いたら、格好が少しおかしくても、人は信用してくれる。だから、最初はとにかく無難な格好をしておきなさいと、嫌がる学生を説得していました。

それと同じこですね。

異国の地で、信用してもらうには、カタコトの英語で必死にコミュニケーションとるのも大事ですが、それだけではうまくいかないのです。

相手から自分がどう映っているのか、客観的にみてみることが必要です。

大学に入ってから2年目、3年目にはこのようなトラブルは全くなくなりました。

英語能力だけでなく、私の振る舞いが、カナダ人の基準からみて信用に値する人として認められたからだと思います。

ということです。

ではでは。


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