見出し画像

一日一日

前は覇気がなかったけど、今日は違った。

そう、娘(小3)について教えてくれた。
「前、うちに遊びに来てくれた時、
 元気がなくて気になっていた」
と何度か言われていた。
娘の友だちのママはわりとハッキリ言う。

〇さん(私)なら分かると思って。
ハッキリ注意してくれたことも過去にある。
このママのことは信頼しているし、
どこかで通じ合っているとも思っている。
だから言ってくれてよい。

…覇気がない、か。
頭で何度か繰り返して。
確かにな、と思った。

この前、写真の整理をしていて、
私もそう気づいたところだった。
顔色がなんというか、白いのだ。
血の気があんまりない、というか。
全体的に白くて、
娘の友だちのママが言う通り、
「覇気がない」が当てはまると思った。

娘は小2の後半から学校を休むことが増え、
登校班では行けなくなった。
遅刻しないよう、一緒に登校して、
遅刻して、一緒に登校して、
小3の1学期は学校に
ほとんど行かなかった。

成績表には斜線がひかれ、
「不登校」と印字された。
それでも先生は、
行った何日かのことについて、
所見を書いてくれていた。

親としての葛藤を存分に経験し、
先生、スクールカウンセラー、相談員、
教育センターの先生、心理士、
小児科の先生、総合病院の先生、
フリースクールのスタッフ、
不登校にまつわる本という本、
そして不登校ビジネスにふれた
(不登校ビジネスはやらなかった)。
参考になりそうなところは参考にし、
失敗もした。ひとつだけ書くと、
デジタル断食は娘にはダメだった。
やり方、というものが
あるのかもしれないけれど、
正直、いのちにかかわるくらいのこと
だと思った。デジタル断食って。

あたたかな言葉や経験した人の言葉、
教員だった方からの言葉にも
直接ふれることができて、
私にとって良いところを
吸収させてもらった。

ふっきれたというか、
いろんなひとを通して、
まず私が元気になった。
感謝している。

娘は2学期から学校に行きはじめた。
びっくりしている。
行くのかなあ、と思っていたら
登校班で行く、と言った。

朝、ちょっと泣くときもある。
でも、行っている。
泣かれると私は揺れるけど、
送り出している。

汗だくで真っ赤な顔して帰ってくる。
「すきぴ(好きなひと)と目が2回あった」
「冷凍ミカンにストローさして
 ジュースにしてのんだ」
「〇ちゃんは〇くんと両想いで
 付き合っている」
とか、教えてくれる。
溌剌として帰ってくる。

今はそんな状況。

学校に行けることがゴールではない、
ということも心におきながら。

「不登校」については、いろいろ思う。
これが正解です、というものはなくて、
ひとりひとり違うものなのだ、
ということも。

不登校の親になったとき、
この気持ちはなってみないと分からないと
つくづく思った。
でも、最近思った。
こういうことが世の中には
いっぱいあるのだと。
不登校に限らず、いろんなこと。
自分がいざ、そうなってみないと
分からないこと。
たくさんたくさんあって。
その多くを分かっていない、ということ。

その痛みはどれも
比べることはできないのだとも。

一日一日を
生きている。
そう思うこの頃です。