目紛しく変わる中国の歴史は時にとても冒険的であり、そして残虐である。
ああ、この時代に産まれなくてよかった、と思う反面、多大なる犠牲の歴史は今も俺達に真実を語りかける。
とりわけ何度も繰り返えされる一族抹殺には考えてしまうものがある。

「 具瑗は勅令をもって張惲を逮捕した。「故なくして、勝手に宿直しているのは、よからぬ企みごとを考えているに違いない」との理由で。  桓帝は前庭に文官、武官を召集し、尚書令の尹勲に命令書を渡して、警備についている見張りの者に武器をとらせた。さらに宮中の各所に配備されている兵を動員し、 1000人を集めた。司法官の袁彪と共に兵を率いて梁冀の邸宅を取り囲んだ。そして、光禄勲の袁盱に帝の命令書を持たせ、梁冀の大将軍の印章を剝奪し、比景都郷侯に左遷する旨、伝達させた。  全てを了解した梁冀と妻の孫寿は即日自殺した。梁冀の弟である梁不疑も梁蒙も、それより一足先に自殺していた。梁冀の親族の梁氏、および妻の孫寿の親族の孫氏を全て捕らえて、監獄に送り、年齢や性別に関係なく、皆、市場で公開処刑した。これ以外にも親族ではないが何らかの関係があった公卿や高級官僚が数十人、処刑された。梁冀になびいていた大臣たちは、死刑にこそならなかったものの、全財産を没収の上、庶民の身分に落とされた。その他、梁冀によって採用された役人たち 300人も全員解雇されたので、一時期、朝廷から役人が払底するという異常事態に陥った。」

—『本当に残酷な中国史 大著「資治通鑑」を読み解く (角川SSC新書)』麻生川 静男著

そんな無茶苦茶な話もないやろ、と言いたい気持ちになるが、この時代の中国ではそういう感じだったとすれば、一族の絆も否応なしに強くなる。
俺は幸い、一族抹殺されそうになったことは無い。
ないけど、まあ色々あって何か色々最悪なこととかあったまま今日まで来た。

今年、親父が入院した。
親父はバイトの様な仕事をしていて、母親は何か色々あって一人ではダメなので、ここでようやく親の世話をする事になった。
仲悪くて疎遠だった次男とコンビネーションを組み、色々した。
お互い、時間は全然なくなったが、久々に膝つきあわせて話せたのは悪くなかった。
三男であるこうじ(弟)は神戸に住んでいるので、金銭的支援はできてもそれ以外は出来ない。コロナ世の中ってのもあるし。
次男は何か色々気に食わなかったこともあったみたいだが、こうじは兄弟随一の孝行者なのを本当のとこ俺らは知っている。
俺がこうじに電話すると、オレ達はアホほどくだらない話を2時間も3時間もし、親の話などブラックジョークでしか言わない。だが、それは本当は心配でたまらないのがいちいち確認し合わないでも分かるからである。
お互い分かり切ってる話を堅苦しくするくらいなら、どうしようも無い話でゲラゲラ笑っている方が、俺たちはいいのだ。

いつもなら盆休みには俺のところにも来て、俺に連れ回される所だが、こんなご時世だし、それ以上に親が心配だったのだろう。
今年は俺には連絡せず、母親のところに泊まって帰るとのこと。
俺はちょっと実家帰ろうかなあと思ったがやめたのだった。

盆の最中、いとこのしんちゃんから電話。昔から俺達やしんちゃんの実弟にはとても優しいしんちゃんであるが、春日原の伝説的不良であり、母親もまた伝説的極道紛いの母ちゃんなので俺はしんちゃんと話す時に尊敬、恐怖、譲歩、甘え、を複雑に交錯させ、何とか作為的に「しんにいちゃん!ぼくみつよしだよー!」みたいなノリの人格を作り上げて会話する。相変わらず優しかったが、その実、俺、礼をかいちゃいねえかな、などと思案することとなる。
これが儒教か。いや、盆休みだから仏教だろ。




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