見出し画像

断ち切るべき負のループ

無事、分散登校初日を乗り越えた娘だったが、通学班での分散登校日を迎えた朝、テンションは低かった。それでも、学校には行きたい気持ちが強く、通学班の集合時刻には、集合場所にも行ってみると言って、家を出た。

分散登校 二日目

集合場所には、大勢の小学生が集まっていた。場所の特性上、「3密」の状況は避けられず、ソーシャルディスタンスも何も、あったものじゃなかった。

それでも子どもたちは、和気あいあいとおしゃべりし、新一年生も加わり、見送る保護者も集まって、にぎやかだった。

娘はその様子を、ガラスの開閉扉を挟んで、私の手をぎゅっと握りしめて、「ドキドキする・・・」と言いながら眺めていた。

通学班のメンバーがそろった班から順に、学校へ向かって出発した。娘はその様子をじっと観察し、最後の班が出発したのを見届けるまで、ずっと動かなかった。顔見知りの保護者もいれば、そうでない保護者もいる中で、視線が娘に集中しているのがわかり、私はいたたまれない気持ちになったが、娘の前でそれを出してはいけないと感じ、その視線をはね返すオーラを出すイメージをしながらその場にいた。

しばらく娘は震えていたが、保護者の数が減って、気持ちが落ち着いてきたのか「ママ、行こう」と言い、歩き出した。

歩き出したらすっかり落ち着いて、以前は通学班の子どもたちの背中が見えると隠れていたが、そうすることはなかった。交通安全員のおばさんにも、「元気そうでよかったわ!いってらっしゃい!」と声をかけてもらい、恥ずかしそうに手を振って学校へ向かった。

少し出発が遅れたので、学校には一報を入れておいたら、担任の先生が門の外まで迎えに出てきてくれた。娘は安心し、初日と違い、周りにお友達はいなかったが、私のほうを振り返ることなく、先生と手をつないで中へ入っていった。

下校のハードル

当分の間は、通学班での下校のため、娘は「帰り、どうしよう」と言っていた。門の前まで迎えに行こうかと聞くと「目立たないようにしてね」と言われたため、子どもたちの視線があまり向かない場所を探して、帰りを待つことにした。

下校時刻より早めに学校に着き、様子を見ていたら、校庭に班ごとに並び、先生のお話を聞く間、娘は一人、列から離れて、担任の先生と一緒にいた。下校が始まると、各通学班が一列になり次々と下校していく最後尾から、先生と一緒に歩き始めた。

私に気がついた娘の表情を見ると、分散登校初日とは違い、疲れ切っているように見えた。「おかえり。おつかれさま」と声をかけ、先生に挨拶をして帰路についたが、娘は何も話さず、黙々と歩いた。

帰宅後すぐに横になり、ぼーっとしている娘を見て、短い時間とはいえ、相当いろいろなことを考え、感じ、がんばってきたのだなぁと思った。一年前からは、考えられない姿だった。

でも問題はやっぱり私

ゆっくり休めばいいよ、と思ったのも、嘘ではないが、なぜか私は、その時間が長くなればなるほど、外から聞こえてくる、子どもたちが元気に遊ぶ声が気になってきた。近所の子どもたちが、外で集まって遊んでいるようだった。天気も良く、外で遊ぶにはうってつけの気候。ゴロゴロしている娘を見ながら、外で遊べばいいのに、という思いが湧きあがってきて、私は次第にイライラしてきてしまった。

娘は何も悪くないとわかっているのに、イライラしてくる自分を止められないことが、本当に嫌でたまらなかった。嫌でたまらないと感じる自分が、どんどん、嫌になって、また私の悪い思考癖が顔を出した。

「もう、こんな環境に住むのは嫌。知っている人のいないところに引っ越したい」

「近所の子どもたちと、娘を比べてしまう環境って最悪」

「家を出たい」

このループにはまってしまうと、なかなか抜け出せない。それはわかっていた。冷静さを取り戻すために、どうにかして、発散しなければと、私は焦った。その焦りが、ちょっとした娘の発言で、間違った方向に爆発してしまった。

「ママ、おやつ食べたい」

娘はただ、そう言っただけだ。何が悪い?学校から帰ってきて、ホッとしてくつろいで、おやつが食べたいと言うのは、自然なことではないか。それなのに私は

「みんな、外で遊んでいるのに、あなたは家でゴロゴロして、おやつの準備までママにさせるの?」

と、意味不明な発言をしてしまっていた。

娘にとっては突然で、理不尽極まりない発言。娘はなぜ、私がイライラしているのか、理解できない様子だった。当たり前だ。

きょとんとした娘の表情は、いつもなら、いとしくかわいく感じるのに、こういうループにはまっている時の私には、イライラを増幅させる原因になってしまう。

私は焦った。これ以上、爆発しないように、娘と距離を取ろうとして、別の部屋にこもった。そういう行動が、娘を不安にさせると、知っているはずなのに・・・。

娘は丁寧にドアをノックして

「ママ、、、入ってもいい?」

と聞いてくれた。

「いいよ」

というと、恐る恐るドアを開けて、娘が入ってきた。

「ママ、ごめんなさい」

どうして謝る必要がある?悪いのは、母である私。娘は何も悪くない。そうわかっているのに、私は

「何が悪かったから、ママに謝るの?」

と、娘を追い詰めるような質問をした。

「だって、ママが怒ってるから。何か、いけないことをしちゃったのかなって思って」

本当に優しい声で、そう話す娘に、私は謝ればいいだけなのに、

「ママは、もう、ここから引越しして、遠くに行きたい」

と、お決まりのセリフを口にしてしまった。

あー。まただ。やってしまった・・・。

娘は

「いつ?今から準備するの?ママだけ行くの?パパには言わないの?」

と、今にも泣きだしそうだった。

ここまできて、やっと、私は自分を取り戻した。振り返ると、いつもこのパターンだ。わかっている。わかっているのに繰り返すなんて、本当に、最低だ。

繰り返さないために

我に返った後は、後悔しながら、ただ、理不尽な発言をしたことを娘に謝り、娘を抱きしめ、泣くというのが、私の定番パターンだ。

もう、繰り返したくない。私も苦しいし、何も罪のない、無垢な娘に、余計な心の負担をかけている。この思考癖、発言のループは、断ち切らなければならない。

以前はこの「負のループ」に、大声で怒鳴ることや、大きな音を立てて机を叩くなどの脅しも入っていた。今回、それはしなかったものの、いつ何時、やってしまうかわからない。

母親として、言ってはいけない発言、やってはいけない行動を取っている自覚はあり、やめたいと思ってもいるのに、繰り返してしまうのには、必ず原因がある。時間はかかるかもしれないが、私はその原因を一つ一つ探して見つけて、なくす努力を一生かけてしていく。その覚悟はできている。できるだけ早くこの連鎖を断ち切るために、泥臭く、必死になろう。娘にこれ以上、悪影響を及ぼさないために。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?