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10/24-「幸せになった」

「幸せになった」最近本当にこんなふうに思うようになりました。


私は、この世の中をつくり・はたらく世代が「幸せだ」と感じ、愛から働く瞬間が増えたらいいのにと心の底から思っています。

全てに愛はあるよ、と究極的にはそうなのだろうけれど、やはりとてもそうとは思えないやりとりが沢山なされる世の中に大きな違和感を感じ、「まずは私がいつも愛から生きられるように」と新卒で独立の道を選びました。

仕事がうまく進まない夜は、いったい新卒のキャリア選択はこれで良かったのかしらと不安になるけれど、こうして根本の想いに触れ直すといや、私はこれが良かったんだよなと思います。(おすすめはしない)


元々は、子どもにとって心の居場所があるといいよな、そのためにできることをしたいという気持ちから養護教諭(保健室の先生)になることを目指していました。

大学在学中は、教育現場や子どもの置かれる状況のリアルをできる限り知りたくて、発達障害をもつお子さんの支援や、学校での学級支援、保健室でのボランティアなどをしていました。幸運なことに、普通の人よりはおそらく、教育現場を肌で感じとる機会をたくさんいただきました。


けれど、触れれば触れるほど「大人が幸せであれば、または少なくとも自分に納得を感じられる社会であればこんなことにはならなかったのに」と思わされる事態にたくさん直面しました。

きっとたくさんの難しさが複雑に絡み合って、「事態」に至るのだと思うけれど、当時大学生という子どもでも大人でもない立場だった私には「子どもの幸せを願う、愛情深い素敵な人たちが追い詰められ、苦しみながらはたらくのは何かがおかしいんじゃないの。」「しかもそんなの子供も願っていないし。」という事態に切り取られました。


そして切り取ったものを教育以外の分野にも広げて考察してみると、「子ども・次世代を守りたいと願う人は実は沢山いて、けれどその人たちが自分自身に納得感を得るために何かすることを許される機会があまりにも少ない」という事態に意味が拡張されました。

そういうわけで今の「まずは私がいつも愛から生きられるように」を絶対に譲らないことを自分に強く約束しながら、「対話で自分を深める」「場づくり・セッション」「20代」の活動を重ね、「生き方テラコヤ」という対話とウェルビーイングを学ぶオンラインスクールの運営や、対話のセッションをすることに至りました。


でも「幸せになった」と感じる最近は、「まずは私がいつも愛から生きられるように」を優先しすぎることで何かが失われているようなきがして焦るようになってきました。

焦るようになってきたというのはきっと信号で、軸は譲らずに、もう少し、ちょっとずつ、ぐるっと動きたいよ!そんな想いが出てきたのかな、そんなふうに思っています。本当に、ありがたいことだなと思います。


何か大きく変わるわけではないと思うのですが、何か節目がきているかもと思い綴りました。


つづく

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