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無意識に幸せな人生を選択する

ご機嫌な暮らし研究家のかもめです。
毒親育ちのアダルトチルドレンだった私が鬱になった経験や失敗、鬱状態から回復していく過程の中での気づきや学びなどをお話ししていきます。

今日のテーマは「無意識に幸せな人生を選択する」です。
私は今まで無意識に不幸な人生を選択していました。なぜ私はそうなってしまったのかを考察しています。
まず、少し私の家族についてお話しします。私の父親は精神障害者でギャンブル依存症、母は可哀想な人で、いつも不機嫌で、口を開けば愚痴ばかりでアル中でした。家族仲は悪く、笑いや楽しい会話がほとんどない暗い家庭でした。幸せや安らぎの感じることのなかったあの家で、私は決して幸せとは言えない幼少期を過ごしました。
仕事もせずに祖父母の年金や内職のお金を盗んでパチンコに行くようなクズの父親みたいになりたくなくて、私は一生懸命勉強しました。大人になってからは一生懸命に働きました。父みたいに生きてる価値のない人間になりたくなくて、私は死に物狂いで働きました。自分自ら進んで、毎月100時間以上の残業をして、残業が200時間を超える月もありました。

でもどんなに頑張っても、頑張っても私が仕事で認められることはありませんでした。それは会社を変えても、職業を変えても同じでした。今思えば、もしかしたら認められていたのかもしれないけど、きっと自分で自分が頑張っていることを認めてあげられなかったのだと思います。

そして私はうつになり、鬱を治すために自己啓発本や心理学の本を読みあさり、自己啓発系のYouTubeを見まくり、ネットで毎日「やる気の出し方」「うつの治し方」を検索する日々を過ごしていました。そして4回目のうつになった時に、「集合的無意識」という言葉を初めて知りました。
「集合的無意識」とは心理学の用語で、自分でも気がついていない、心のおくそこにある無意識の心理領域です。
人はみんな根っこの部分で、無意識に繋がっている。
集団の中の無意識から、自分の無意識は影響を受け、人は無意識に操られて生きるらしい。
特に幼少期はその影響を受けやすく、毒親の無意識からひたすら毒を注ぎ込まれてしまう。
最初にお話したように、私の幼少期の集合的無意識にあったのは、幸せや安らぎではなく、不安や不満、怒り、苛立ち、不仲、人間不信でした。面白いことがあり、妹と楽しそうに爆笑していると、「うるさい。静かにしろ」と親から怒鳴られていました。「家の中で楽しんではいけない」私は無意識にそう感じたのを覚えています。楽しい雰囲気はうちの集合的無意識には、似つかないものだったのです。

この集合的無意識というものを知った時に、自分の幼少期を重ね合わせ、私はすごく腑に落ちました。だから私はどんなに頑張っても、幸せになれなかったのかと。私は自分で意識していたわけではないけれど、自ら望んだわけではないけれど、無意識が幸せでないほうの人生を選んでしまっているのです。

うつになった時は、なんとか直そうと思っているから、頑な意志が存在しているから、自分が選んだ方向へ、前へ進んでいけます。だけど、うつが治って普通の生活に戻ると、また無意識に戻ってしまいます。病気になると、急に健康に気をつけて、体にいい生活を送るのに、健康な自分に戻ると、また不摂生してしまうのと似ている気もします。

私は3回目のうつになった後になんとなく、普通に過ごしていたらまたうつになるんだろうなということには気がついていたので、「うつにならないように気をつけよう」と思って生活していました。
だけど、結局私はまたうつになりました。
うつにならないように気をつけていたのに、またうつになったんです。おかしいですよね。

そう。それではダメだったのです。
目的地をきちんと定めなくてはいけないんだと気がつきました。
どこに行きたいのかを決めて、きちんと設定しなくてはいけない。
「危ない場所にはいかない」と気をつけていても、それでは素敵な場所にはたどり着けないのです。
「景色が綺麗で、心地良くて、幸せで楽しい素敵な場所に行く」と行きたい場所を明確に決めて、自分でその場所を設定しなくてはいけないんだと気がついたのです。

幸せで温かな家庭で育った人は、きっと無意識で自分を幸せにする選択ができるのではないかと思います。自分が大切にされるのが当たり前で、自分が生きているだけで喜んでくれる人がいて、自分が生きているだけで誰かを幸せにすることができる。それをわかっているから、安心して無意識に幸せの方向に進んで行くことができる人。

残念ながらそうでなかった人たち「お前がいるせいで金がかかる」「お前たちがいるせいで離婚できない」「お前らのためにこんな思いをしなゃいけない」と、親の不幸を子供である自分のせいにされ、疎まれ、幸せになることを望まれなかった人は、無意識に任せていたら幸せな方向には進めない。だからこそ、自分で意識して自分の足で幸せな方向に進むしか道はないと私は考えます。

日々、自分にとっての幸せを意識して、自分の好きな人たちと楽しい時間を過ごしていたら、いつか自分の集合的無意識は幸せなものに変わっていく。

そして、無意識に幸せな人生を選択することができるようになる。私はそう考えています。
あなたがどう生きたらいいのかわからなくなってしまったのは、目指す場所が分からなくなって、迷子になってしまっただけ。目指す方向が分かれば、前に進んでいくことができる。

自分と戦ってはダメです。もうこれ以上がんばらなくていいです。今は、何もしなくてもいい。そうしていれば、がんばらなくても、心がワクワクして自然と体が動きだす時が必ずやってきます。
次回は、私が実際に行った「集合的無意識」を幸せに書き換える具体的な方法についてお話ししたいと思います。

今、私たちの目の前には常に選択肢があり、その中から私たちは、楽しいもの、好きなもの、ときめくもの、心地よいと思うものを自分自身で選択することができます。
本当はどんな自分になりたいのか、理想の自分なら何を選ぶのか、今私はどうしたいのかを確認していく。今の自分の気持ちと丁寧に向き合っていく。あなたのその思いと選択がいつかあなたの暮らしを変え、人生を変えていく。私はそう信じています。


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