見出し画像

マネジャーは麻薬みたいなものではないか

しゅんしゅしゅんです。

いちどマネジャーになると、意識的/無意識的かかわらず、快楽におぼれてしまうのではないかと思う。これは個人のパーソナリティの問題というか、人間の性の問題かもしれない。

つまりマネジャーは麻薬みたいなもんだ。

マネジャーに忙しさや無理を許容させるのではなく、いかに本質的ではないマネジャーの仕事を減らして本質的なマネジャーの仕事に向かってもらうかのために徹底的に議論するサイボウズ社の視点はすばらしく、勇気にみちている。

マネジャー激務問題はよく取沙汰される。しかし不思議なことに「マネジャーの仕事を減らす」観点での打ち手は検討されにくい。仕事量はそのままが前提で「マネジャーの力量をあげる」観点での研修等の打ち手は検討されるが。

恐らくどこの会社でも「念願のマネジャーになったんだから、全ては我慢してね」の暗黙感があるのだろう。うちの会社もそうだ。

そして「マネジャーたるものいい給料をもらっているのだからこれくらいやってしかるべきだよね」が、上司の中にも、部下の中にも、そして本人の中にもある。僕の中にもある。そのプライドなのか責任感なのかが、マネジャーの激務問題を煙に巻く。

「仕事が多いとぼやくわけにはいかないよなあ」
「俺が仕事できないだけだよなあ」
「給料高いし我慢しないといけないよなあ」

チーム崩壊を目前にしても、そんな気持ちが頭をよぎり、仕事を減らすという観点に思考が向かない。敗北宣言をしている気がする。そして工夫ではなく忍耐の道を選んでしまう。


しかし、より根深い問題は本人のマネジャーの地位への固執ではないだろうか。

マネジャーはその地位で強権発動することができる。共感ではなく権力で、安易に人を動かすこともできる。指示通りに人が動くときにいいようもない自己重要感を享受してしまう。これは気持ちがいい。まさに麻薬だ。このクソみたいな麻薬を一度味わってしまった人を更生させるにはどうしたらいいのだろうか。

サイボウズ社は最軽量のマネジメントのための秘訣は「情報をオープンにすること」だという。マネジャーだから職務権限上知り得ている情報、アクセスできる情報がどこの会社にもあるはずだ。この階層別情報アクセス権限が生む「偉くなったような気持ち」を潔く捨てるということだ。

メンバーと同ランクになってしまったかのような気持ち。そして情報をもっているという強味を活かせない不安。優秀な部下と同じステージで戦うことになる怖さ。このクソみたいな弱さを乗り越えるにはどうしたらいいのだろうか。

マネージャーだから一応意見をお伺いされる、いらないことでもお耳にいれてもらう、無駄に忖度される、過剰におもてなしされる。それは本来おかしい。意思決定をする偉い人ではなく、意思決定をする役割の人なのだから、人として偉いわけではないのだ。

でも、こんな心地よさを繰り返している錯覚する。いつのまにかお山の大将になっている。このクソみたいな錯覚を振り払うにはどうしたらいいのだろうか。

マネジャーを働きにくくしている要因のある程度は、自分自身にある。自分で自分を壊す勇気。人との関係性とか承認欲求とか自己重要感とかではなく本質的なことに目を向ける勇気が必要なんだと思う。


別の本の中に、含蓄に富んだこんな話があった。

昭和の大バンカーで大銀行の高位役職者はこういったらしい。

「君に偉くなるってのはどういうことだが教えてあげよう。それは、自分の体から光が出るんだよ。ただね、聖人君子じゃないから本当に光が出ているわけじゃなくて、いろんな人が自分に投げかける注意や注目、これを反射しているだけなんだ」「朝は黒塗りの車で本店正門に来て、車から降りると『あっ、頭取だ』と注目が集まる。それを光として自分が反射しているだけなんだけれども、やっぱり体から光が出ている気になるんだ。その光を失った人間の寂しさを、偉くなったことがない君は分からないだろう…」


頭取ではないけどさ。地位や役職ってのは人を狂わす面がある。これは人間の性だ。人間の性に打ち克つのは一筋縄ではない。

人間の性である以上ゼロにはできないと思う。極限までゼロにしていくしかない。そうでないとマネジャーの仕事を軽くする本質的な創意工夫はなかなか生まれない。

このやり方は僕にはまだまだわからない。

では。










この記事が参加している募集

推薦図書

コンテンツ会議

買ってよかったもの

最後まで読んでくださりありがとうございます!面白かったらスキ!超おもしろければサポートいただけると嬉しいです!これからもがんばります。