見出し画像

書くということで①感情に向き合ってこころをマネジメントすることができる。②論理思考を磨くに磨くことができる。書く人を増やしているnoteは世界を幸せにするサービスかもしれないとおもった話【前編】

しゅんしゅしゅんです。

変化が激しく情報過多な現代社会でいかに心をマネジメントしていくか。

ハーバードビジネスレビューの年間最優秀経営アイディアに輝いた「ハーバード流 こころのマネジメント」の中では、自分の感情を意識的に扱い、受け入れ、折り合いをつけることが大切だという。

感情を「封じ込める」のではなく、「思い悩む」のでもなく、「明るく振る舞う」のでもない。感情に「向き合う」ということ。

詳細は本書を読んでいただくとして。

今日の本題は、感情に向き合う術として「言葉をラベリングする」ことってほんとに大切だなということ。

感情を言葉にしてはっきりと区別しなければ、身の回りの出来事をうまく処理できるまでに理解することは不可能なんですよね。赤ちゃんがすべての感情を泣き叫ぶことでしか表現できないのと本質的に同じ状態。

感情を言葉にするだけで大きな効果がある。ストレスと怒りは違う。失望と不安も違う。恐怖と嫌悪も違う。すべての出来事を「ストレスがある」で片づけていたら適切な打ち手など見つかるわけがない。

例えば、「仕事が膨大でストレスがある」のであれば、タスクを整理して優先順位を付けることが適切な打ち手だが、膨大な仕事を高圧的にふってくる「上司に怒りを覚える」だと、タスク整理は適切な打ち手に繋がらないかもしれない。はたまた「その上司に恐怖を覚える」のか、「その上司に嫌悪を覚える」のかでも、やはり打ち手は違ってくるかもしれない。

自分の感情を区別できないことを「失感情言語化症」と言ったりするんですね。感情を言葉で処理できないと心が苦しくなり、それが頭痛や腰痛といった身体的症状に現れる。感情が言葉ではなく、肉体によって表現されている状態。メンタルによりフィジカルを崩す人が多くいるが、これは言葉にできない人のSOSなんだなと。

人と素直に話すことで楽になるってのはこういうことなんだ。書くことによって心が洗われるというのはこういうことなんだ。その過程で感情をラベリングして区別して整理することで、適切な打ち手が自然と見つかるということなんだ。

冒頭に紹介した「ハーバード流 こころのマネジメント」では特に「書く」という行為を重要視しています。書くことで自分の内面の見方が深まる。書くことで感情をページに移して、自分と感情の間に距離を置く。発生した感情が今の自分に何をアラートしてくれて、何をしろといってくれているのか、客観的に捉えられるという寸法。

まあ「書く」って行為は、手法としては心理学や自己啓発の界隈では昔から言われていることですよね。日記をつけるといいとか。1日の終わりに今日あった良いことを3つ書き出すとか。アンガーマネジメントやレジリエンスでは、自分の気持ちをとにかく書きなぐると心が落ち着くとか、感情に名前をつけることから始めるとよいとか。

これらはすべて眉唾もんではなく、本当に大切なんだって、なんだか最近腹落ちしているのです。

それは多分noteをやりはじめたから。

日記なんて小学生の頃の絵日記以来書いていないし、3つ良いこと書き出しましょうって言われても「そんなもんかね」と思うだけで、実行したことはなかった。

でも僕は今こうしてnoteに文章を書き綴っている。

noteは僕しかり、書くクリエイターを増やしたと思う。多くの人は書くことで心と向き合い、心と向き合っている他の多くの文章に触れ、前に進めている、と思う。

そんな機会を与えてくれるnoteは世界を幸せにするサービスなのではないか、とすら思う。

noteさんありがとう。
これからも言葉を大切に。
これからも書くことを大切に。

では。

この記事が参加している募集

推薦図書

noteでよかったこと

最後まで読んでくださりありがとうございます!面白かったらスキ!超おもしろければサポートいただけると嬉しいです!これからもがんばります。