最大限の愛が伝わる褒め方をみつけました。

しゅんしゅしゅんです。

「人を懐柔させる方法」というnoteを書いたことがあります。

1、弱みを見せる(自己開示する)
2、結果はもちろん過程をほめる
3、他の人と違うところを好きという

チームメンバを懐柔する(メロメロにする)ためにこの3点をあげておりまして。

3、他の人と違うところを好きという
好きだということを伝えるだけで好きになってもらえるわけだが。(もちろん男女という意味ではないですよ)その人が良く言われがちな特徴を捉えて好きだ、いいと思っているというのは普通。ささいなことでもいいので、その人があまり言われないことを捉えて好きだ、いいと思っていると伝えてみる。俺はよく見ているからこそ、お前のそんなとこも知っているよと。これまた特別感が生まれます。

「他の人と違うところを好きという」には、よく見てくれているのだという特別感を生む力があると思っているのですが、どうやらここには不合理のパワーが潜んでいるのかもしれません。

そんなことを「世界は贈与でできている」をよんで思いました。

本書によると、不合理のパワーはとてつもないようです。

ある行為から合理性を差し引いたときそこに残るものに対して、人は贈与を感じる。贈与同様、他者からの「敬意」や「礼節」も、そのようにして人から人に伝わる。

例えば、帽子をかぶっている男性は、誰かと会ったときには脱帽するのが「マナー」だ。しかし誰かと会ったら帽子をぬぐことには機能的な意味はない。つまり合理的な理由はない。それでもなお、帽子をぬぐからこそ敬意が伝わる。

プレゼントをもらう時だってそう。渡されるときに「これAmazonで買ったんだ」と告げられるより「これ見つけるの大変だったんだ」と告げられたほうが普通はうれしいはず。これも合理的にいえばamazonの方が便利なのだが、わざわざお店に足を運びいろいろ吟味したところに合理を超えた不合理を感じるからこそ、贈与を感じるのだ。

つまり贈与とは不合理でなくてはならない。

人は合理性というものを極めて肯定的に捉えていて、反対に「不合理性」には、排すべきものというネガティブな印象がつきまとう。だが、いやだからこそ不合理なものには人の心と思考を大きく動かす力があるのだ。

「贈与」「礼節」「敬意」「愛」…これらを伝えるための表現や行為はたくさんあって、その行為をなぜその行為たらしめるかは、たしかに「合理を超えた不合理」で整理できそうです。

物事の本質がどこにあるかを捉えることの大切さをあらためて思い知りました。つまり「ここまでしてくれるなんておかしい」=「合理的ではない」が伝わるかどうかなんですね。このようなプリミティブな真理は応用が効きます。ひとつひとつの行為を覚えて実践することは大切だけど、「不合理さ」が伝わらないと残念ながら効力は発揮されないんですね。

本書は歌手の平井堅の「君の好きなとこ」という曲の例えも出します。

照れた笑顔 すねた横顔 ぐしゃぐしゃ泣き顔
長いまつ毛 耳のかたち 切り過ぎた前髪
ホッとした顔 笑ったときハの字になる眉

サビの歌詞に君の好きなとこがこのように列挙される。

それぞれの前半は、通常の文脈であれば、たしかに褒め言葉だ。つまり、相手の女性自身が長所として自覚していると思われる特徴。過去に他人から褒められたりするなどして、本人が美点としてすでに把握している特徴。

しかし、それぞれの行の最後の特徴は、欠点のはず。つまり彼女にとっては合理的な(つまり自他ともに認めるような)長所ではない。

だが、あえてそれを名指し、挙げることにより語り手の想いが伝わってくる。なぜこの人は私の欠点を「好きなこと」だと言うのか。この不合理、矛盾を合理化し整合的に理解する方法は「そこに愛が示されている」という仮説を立てること。その仮説の下であれば発生した不合理性、矛盾は解消される。

つまり愛は不合理からしか生まれない。

気をつけないといけないのは、いきなり不合理な特徴ばかりを挙げてもだめ。合理的な理由のあとに不合理性を混ぜるバランスが大切(最初から最後まで不合理な特徴しか挙げてたらセンスを疑われる(笑))

合理的なものより、不合理がもつメッセージ性のほうが強い。だが、不合理なものは単体では、その力を発揮できない。不合理は、合理性のあとにやってくるのだ。

人はどうしても因果関係を見出したい生物です。その人の合理の閾値を超えると、なんとしても理由をこじつけて合理的に納得しようとする。「こんなとこを好きと言ってくれるなんておかしい。私を愛していない限り理由が説明できない!」ってことですね。

面白いですね。なんとなく、多くの人が恋愛系の小説やマンガや映画やドラマの中で、そして実戦的に学んできたような気もしますが(笑)、愛が伝わる褒め方は…

「もちろん〇〇(合理的な特徴)はステキだ。でも、みんな気づいてないかもしれないし、君自身もそう思ってないかもしれないけど、僕は〇〇も(不合理な特徴)ステキだと思っているよ」

これですね。

人間関係だとわりと簡単なことな気がしているのですが、ビジネスに応用しようとするとわりと難しい。ビジネスだと並大抵の仕掛けだと、「こんくらいやって当たり前でしょ」「なんか裏がある」「見返りを求められそう」ってなりますからね。

大盤振る舞いなことをやっても、街の飲食店のおやじさんがやるのと、大手の飲食チェーンがやるのでは、なぜか受け取り方は違う。前者は贈与を感じるけど後者は贈与を感じない。見せ方とか見え方の違いをつきつめると面白そうだなあ。

ディズニーとかも合理を超えたディテールへのこだわりという不合理さが熱狂を生むんだろうな。

不合理を演出するなんて、まあいやらしいけど、
意識しちゃいますね。

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