抽象的な表現を具体な表現に落とし込むには?【マンガ編】

ズーニー先生の授業が全3回終わった!!
実は、まだ落としこめていない部分がある。

それは抽象度

一度、マンガを描くと分かる。
表現と言えども、
アートとマンガでは、詩と日常会話 ぐらい違う。

抽象的より具体的な部分が多い方が読みやすい。
マンガと読者の特性である「触れやすさ」「読んでみてもいいかな?」「さらっと読みたい」「楽しみたい」を失ってしまう。
いいテーマか?、いい作品か?の前の話だ。

これは、わたしの尊敬するコルクラボマンガ専科3期生の同級生たちの姿勢、作品から感じている。

(アートが一般的に「むずかしい」と言われるのは、アートには抽象度の縛りがないためだ。そこがアートの面白いところでもあり、わたしは好きだ。)

山田ズーニー先生の本を読み直してみる

ズーニー先生の授業後、こちらの本を読み直してみる。
講義で作成した文章はマンガに落とし込むには、抽象度が高いように思えたのだ。

本書は、抽象度については触れている文面はない。
「実用以上、芸術未満」とあるので自身の専門のアート、抽象的な表現は対象外とされている。

よって、独自に学んだこの7つの要素のどこに抽象度のレベルを下げる機能があるか検討する。

1、意見
2、望む結果
3、論点
4、読み手
5、自分の立場
6、論拠
7、根本思想


● 論点をコテコテに絞る、読み手を固定する  
 -2,望む結果 3,論点

マンガで表現する時、論点は恐らく絞りに絞った方が具体的になる。
今までわたしは他者のために絞る論点よりも、自身の論点の切り口の面白さを最重要視しすぎていたように思う。

作品を作り切るにはパワーがいる。
自身から見た他者の面白さ、興味関心、好奇心がわたしを制作(遊び)へと動かす。
その面白い遊びを他者から邪魔されてしまうとどうしても作品が完成させられないこともある。
自分の遊びだから、最後まで力を抜かず自分の力で作りたい。

読み手を固定するのは、他者から遊ぶ行為を少し邪魔される行為と少し似ている。遊びが制限されるのだ。

自身の遊びのため、他者に自身の作品で変わってほしいと強く願ったことがない。
もちろん、作品を楽しんでもらえると嬉しいし、光栄でもある。
けれど、それが目的ではない。

しかし、そろそろ自分だけが面白い遊びを独り占めするのには限界があるかもしれない。
本書のテクニック「作品を読み終えたとき、固定した読み手にどう言ってもらいたいか、その言葉で結果をイメージして作る」を用いて、もっと身軽にマンガでは描くタイミングなのかもしれない。

● タイトルを論点にする、疑問形にする
  -3,論点

テクニックとして紹介されていた。そのまま用いようと思う。

● 過去を丁寧に(多く)語る
   - 5,自分の立場 6,論拠

マンガは未来を語るよりも、過去に寄り添う作品が多いように思う。
もちろん、出口や逃げ場のない過去を描くだけだと、読者も作者もつらい。
未来について語らなければ、意見・切望・期待のない作品になってしまう。
未来について語るとどうしても抽象度が高くなる。
今を語れば流動的すぎる。
過去:今:未来 = 7 : 2:1 ぐらいだろうか?
これはやりながら検証して行くしかない。


作るのは楽しい!

ひとまず、これでマンガを描こうと思う!

- 論点をコテコテに絞る、読み手を固定する
- タイトルを論点にする、疑問形にする
- 過去を丁寧に(多く)語る

新しいことだから、どうなるか分からないけど、だから楽しい。
制限のある遊び、けれどマンガだから、楽しいに違いない。


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