私から母へ

今日は成人の日です。
私は今年33歳になりますが自分が成人した日のことは今でも覚えています。

20歳の誕生日は精神病院の閉鎖病棟で迎え、ナースステーションで行われる朝の申し送りでは私が成人したことが告げられたそうです。
私はというと、喫煙室で堂々とたばこが吸える!と、朝の4時から施錠された喫煙室の前でわくわくしていました。
ヘビースモーカーの娘だから当然かもしれないですね。

電車を乗り継いで見舞いにくるのは大変だったでしょう。
駅まで自転車で30分はかかるし、病院までは電車を乗り継がないといけない。それでもカートン買いしたブラックデビルを持って顔を見に来てくれていました。

年越し前には外泊許可が出て帰宅したけど、誰もいない家に帰ったら急に絶望感に押しつぶされそうになって、処方された薬を全部飲んでその日のうちに病院に戻りました。
何が私をそこまでさせたのか分からないけど、それでも救急車を呼んで情けない娘を助けてくれました。

年明けに退院した私を笑顔で迎えてくれたのに私はふくれっ面で。
成人式に出たらと近所の知人から振袖を借りてきてくれたけど、楽しそうに人生を過ごしている同級生に会いたくなくて、自分はもう大人だという現実に立ち向かう勇気なんてなくて、体調が悪いから行かないと言いました。

きっと振袖を着た笑顔の娘を見たかったでしょう?
私だって振袖を着て笑いたかったよ。


それから何年も成人式に行けなかったことをコンプレックスのように感じていたけど、機会に恵まれて昨日成人式に参加しました。
地元でもない縁もゆかりもない土地の成人式は、新成人のきらきらした振袖と笑顔で溢れていました。

懐かしい仲間と顔を合わせて楽しそうに笑う彼女たちを見て、あのころの私とあなたを想いました。
普通のかたちではなかったけれど、小さな幸せとたくさんの涙で繋がっていたと思います。


私を産んだ夜に「これからどうしよう」と悩んで、ミルクが買えない夜には重湯をガーゼで必死に私の口に含ませて、ただ生かすことを考えた20年だったかもしれない。

それでもたくさんのことを感じてたくさんのことを学んだ私は、今はこの土地で生きています。

あのころの記憶は時々私を苦しめるけど、たくさんの夜を乗り越えて今があると少しは感謝しています。


もうどのくらい会っていないか忘れてしまったし、電話も無視し続けているから連絡すら来なくなりました。
あと何回会えるかわからないけど、このくらい距離がないと生きていかれないから許してね。

生きることがあなたへの恩返しだと思うから、歯を食いしばって今日も生きています。
明日もきっと生きています。





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