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おじさんと女の間に百合は成立するのか

「おじさんと女の関係の間に百合を感じました」という文章を見てどう思うでしょうか?おそらく「お前は何を言っているんだ」と思うでしょうし、敬虔な百合教徒の方であれば破門状を突きつけさえするかもしれません。基本的に、「百合とは何か」と言うことを論ずること自体がナンセンスで、いろいろな宗派がある世界ではあるのですが、本稿では、それを承知の上で少し百合について考えてみたいと思います。

女同士の恋愛を描いたコンテンツに対して、「これはもはやBLである」と論ずる感想を見ることがあります。これは、女同士の恋愛の中にも、よくBLで出てくる題材である、嫉妬の渦巻く愛憎劇、見栄の張り合い、意地のぶつかり合いなど(BLに詳しくないのであまり適切な例が出てきません)が描かれていることで、BL作品を読んでいるかのような感慨を得ることができる、ということです。このように、実際の登場人物の性別を問わず、そこから独立した概念として「BL的」「GL的」と言うふんわりした共通認識が存在しているように思います。そういう意味で、もし「GL的な関係」「百合的な関係」というものが、登場人物の性別から独立した概念として存在するのであれば、男女の間であっても百合的な関係が成立しうるということになります。

しかしながら、先ほど例に挙げた「BL的」というものも含めて、これらの概念はきわめて抽象的で、明確に言語化することが難しいものです。たとえば、「嫉妬の渦巻く愛憎劇」というものに関しても、この特徴を満たしていればBL的と言えるかと言うと全くそんなことはありません。特定の男をめぐる女同士の戦いも「嫉妬の渦巻く愛憎劇」ですが、これにはBL的でないものもたくさんあるのです。このように、BL的、と言う概念は、靄で包まれた何かのようなもので、そこから導き出される特徴は、その靄に光を当てた時の影のようなものだと思うのです。靄に光を当てて生じた影は確かにBL的なものを見せているが、同じ影を見せているものを持ってきても、それは全く別の何かであることがあるのです。言語化をあきらめているというよりも、一般化が難しいということが近いです。

さて、自分が百合を感じたおじさんと女の関係性は、「地下アイドルファンと地下アイドル」の関係でした。具体的には、『推しが武道館いってくれたら死ぬ』という作品に登場するくまささんというアイドルファンのおじさんと、彼の「推し」であるれおさんの関係です。くまささんの中にある、アイドルの夢を応援する気持ちに、強い少女性を感じたのです。

アイドルファンとアイドルの関係というのは複雑です。恋愛の対象としている人、依存の対象としている人、崇拝の対象としている人、自己同一性のよりどころとしている人、自己実現の対象としている人……など様々です。恋愛感情を抱いているかどうかはかなり大きな違いですが、これも0か100ではなく、ファンの数だけ、感情の大小は連続的に分布しているものと思います。(アイドルは疑似恋愛を売る仕事でもあるので、完全に0だと言い切ってしまうのはそれはそれで失礼という考え方もありそうです)
本作に登場するくまささんに関しては、「少なくとも恋愛感情以外のものを中心とした動機で推している」ことははっきりしているように思います。(まだ2巻までしか読んでないので違うかもしれませんが……)

アイドルファンとアイドルの中にある、「恋愛感情と言えるほどの形を伴っていないが確実に存在する巨大な感情」、あるいは「人生を賭してしまうほどの依存性」、あるいは「夢を応援しようという純粋な気持ち」——そのあたりの関係性に、わたしは何となく百合の像を感じ取ったのではないかと思っています。この関係性は「百合」との共通項が少なからずあるではないのではないか、と思うのです。

一方で、この関係性に「百合」を見出してしまうことで、失われてしまうものもあるのかもしれません。第一に、片方の男性性を無視してしまうということです。男性として生きていて、男性としてアイドルを推しているということには、その人ならではのバックボーン、そこに至るまでの物語があります。そこを無視して、既成の概念である「百合」というものに近似してみなしてしまうことで、切り落としてしまう側面も多分にあるように思います。第二に、百合という言葉を使うことによって、「恋愛感情」を必要以上にフィーチャーしてしまう点です。くまささんは、アイドルを推すということと恋愛感情を持つということを切り離して考えることに対して美学を持っているように思われました。「百合」と言うカテゴリを適用することによってその美学を冷やかすような感じになってしまいかねないと思うのです。それはさながら、異性を助けるために善意で手を伸ばしたときに、「お前あいつのこと好きなのかよ」と言われてしまうようなものです。

これらのことから考えると、人間関係に何らかのレッテルを貼り付けること自体が、既成概念の枠の中に押し込めるようなもので、暴力的な側面があるのではないでしょうか。アイドルファンと推しの関係はBLでもGLでもなく、「アイドルファンと推しの関係」でしかないのです。それに別の名前を付ける必要も、何らかのラベルを付ける必要もないのです。
長々と論じてきましたが、結論としては、「おじさんと女の間にも百合の影を見出すことはできる。だが、わざわざそうする必要は別にない」ということになりそうです。


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