過激かも
鬱の人と
鬱じゃない人がいる
と、思ってるだろうけど
実は
みんな鬱
鬱を自覚している人と
鬱を自覚していない人が
いるだけだ
鬱を自覚している人は
もちろん、がんばる必要なんかない
鬱を自覚していない人が
自覚がないから
がんばっているだけだ
鬱が責められる理由はない
鬱の特別視も必要ない
鬱しかいないのに
どこを責める
どこが特別
鬱に引目はいらない
むしろ
鬱を自覚したんだから
晴々としていていい
すがすがしくいていい
鬱を自覚していない人にしか
悶々として
ふさぎこんむことはできない
だから医者は言う
悶々として
ふさぎこんでいる状態がわかる
鬱を自覚していないひとだから
「あなたは鬱ですね」と
言葉は悪いが
言わせてもらえば
その言葉は福音だ
よいお知らせだ
鬱を自覚していいですよ、と
自覚してない人が羨んだ言葉だ
なんとも皮肉な
人生は苦だといったのは
お釈迦様だ
お釈迦様が
「人生は苦だ」って
もう宣言してるのに
それを自覚しないなんて!
「人生は苦だ」を自覚した上で
がんばること、
苦しむ必要なんかないでしょ!
無駄ですよ無駄!
「苦」を「不満足」のニュアンスて伝えてくれたのは
あれは…「仏教思想のゼロポイント」のニー仏さんだったか
ここにあるでしょ
鬱状態が
デフォルトなの!
それを自覚するか、誤魔化すか
誤魔化している方が
より苦しむでしょ?
鬱状態がデフォルトだって
自覚したら
「デフォルトならしゃーないか」って
なるでしょ?
晴々していなさいよ
清々しくしていないさいよ
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?