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【トルストイ × MMT?】租税は「バブキー」を通貨に変える

どんな形式の貨幣でも、それが強制的に要求されて初めて、交換手段としてではなく、強制的な要求への支払い手段になり、人々の間に流通し始める。そうして初めて貨幣は誰にとっても必要なものになり、安定した交換価値が生まれるのだ。

 これは経済の専門家が書いた文章ではない。ロシアの大文豪トルストイが、1886年に発表した『では何をなすべきか?』という作品の中の一節だ。冒頭の引用は、貨幣とは何かについて論じている部分からの抜粋。「租税が貨幣を動かす(taexs drive money)」に通じることを言っている。このトルストイの洞察は、2年前のツイッター(英語圏)で話題になっていた。モズラーも「ミッチェル=イネスも同じ頃そのことについて書いていた。当時は常識だったに違いない」と反応している。

 なかなか面白い内容なので早速アマゾンで邦訳を入手してみたが、文意はしっかり訳しているように見えるものの訳語がかなり堅いので、ロシア語原文英訳版を入手しdeepl翻訳を駆使して比較しながら、なるべく平易な言葉に直してみた。

 これはトルストイが偶然言い放ったことではない。彼はこの文章の中で、経済学者たちが貨幣を単なる「無害な交換手段」と説明しているのはおかしいと明示的に批判している。

それならなぜ、強制的な徴税が行われていない時には、本来の意味での貨幣は存在したことがなく、また存在し得なかったのだろうか?なぜ、フィジー諸島の人々、フェニキア人、キルギス人、そしてアフリカ人のように、一般的に税金を払わない人々の間では、直接の物々交換、もしくは羊や毛皮、貝殻などの曖昧な価値のシンボルが存在するだけだったのか?

 ある貨幣は、それが支払い手段として強制的に要求されることがない限り、人々に広く受け取られることはないし、実際そのような支払い義務のない社会に存在するのは物々交換だけである。せいぜい毛皮とか貝殻とか、厳密な計算単位としては曖昧な手段しか存在していないじゃないかと。

〔貨幣の〕価値は、交換に都合が良いからではなく、政府が要求するから生まれるのである。金(きん)が要求されれば、金は価値を持つだろうし、バブキーが要求されれば、バブキーは価値を持つだろう。

 このロシア語の「バブキー」という言葉は、お金を指す言葉として広く使われているスラングだという。ウィキショナリーには、ロシアの古い伝統では、「バブキー」は子供たちのゲームの名前であり、またそのゲームに使う「石ころ」を指すとも書かれている。バブキーは、「トークン(代用品)」としての貨幣を表していて、トルストイはその価値が政府が租税などの強制的な支払い義務を課すことで生まれると説明している。

(「バブキー」をする子供たちの様子、ウィキショナリーより)

 冒頭の引用でも「どんな形式でも」と強調しているが、「金(きん)が要求されれば金が価値を持ち、バブキーが要求されればバブキーが価値を持ち」とあるように、貨幣の形式というか素材は関係ない。これは貨幣の価値をその物質的な価値で考えようとする「メタリズム(金属主義)」の否定だ。どんな形式でも政府の要求によって価値が生まれるというのは、MMTが重視する「チャータリズム(表券主義、貨幣をトークン〔代用品〕と考える見方)」の考えに近い。モズラーが「税金は紙くずを通貨に変える」とジョークを言ったように、「税金は石ころ(バブキー)を通貨に変える」わけだ。

もしそうでないなら、なぜこの交換手段〔貨幣〕を発行するのが、過去も現在も変わりなく、常に政府の特権なのだろうか。人々が(たとえばフィジーの諸島の人々が)交換手段を決めたら、彼らが望むように交換させればいいし、政権、つまり暴力的手段を持つ側はその取引に干渉する必要はない。ところが実際はそうはならず、権力側は硬貨を鋳造して、他の誰にも同じものを作ることを許していない。もしくは欧米のように紙幣を印刷して、そこに皇帝の顔を描き、特別な署名をして、その紙幣の偽造には刑罰を科している。政府に協力する人々には貨幣を分配し、全ての人々に対しては国税や地租の形で、このような硬貨や署名付きの紙切れを要求する。

 これも政府が貨幣を独占的に供給しているというMMTの結論にぴったり合う考え方だ。そして、政府はなぜそこまでして自ら発行した貨幣を人々に行き渡らせ、再び回収しようとするのかについてもトルストイは自分なりに答えを出している。

租税の目的は、人々から余剰をすべて奪い、彼らがこの納税の要求を満たすために労働力を売らざるを得ないようにするためである。この労働力の利用こそ課税の目的だ。労働力の利用は、労働者が生活費を奪われることなく提供できる金額よりも多くの税金が要求された場合にのみ可能である。

 「租税が貨幣を動かす」は話のまだ半分、それには先がある。「モズラーの名刺」の物語では、子供たちに名刺(=貨幣)を稼ぐよう仕向けることで、家の手伝い(=労働)をさせ、父親は「きちんと片付いた居心地の良い自宅」(=生産物)を手に入れた(※児童労働の話と誤解しないで欲しい…)。租税は貨幣を動かすだけでなく、労働と生産を促す。トルストイもまた、政府が租税を課す目的は、労働させることにあると言っている。もっと言えば、その結果として財やサービスの生産が行われ、経済を動かすことにつながる。

百姓は昔から、「人を叩くには棍棒よりもルーブル(カネ)の方が効く」ということを知っている。しかし、経済学者だけはこの事実を見ようとしないのである。

 人々に何かをさせるのには直接的な暴力よりも、お金を使った制度的な力の方が有効だということだ。もちろんトルストイはそれが素晴らしいことだとは言っていない。むしろ貨幣は人々を奴隷にする性質があることを批判している。租税が賃金の上昇を抑制してしまう危険についても指摘している。

 租税制度は、労働や生産を促し経済を動かす働きがある一方で、人々の生活を抑圧し却って経済活動を阻害してしまう要因にもなりうる諸刃の剣だ。だから、租税自体の是非ではなく税制の中身が問われるべきであり、利害調整の手段として政治が重要になる。MMTは、制度の欠陥を補う重要なピースとして就業保証(ジョブ・ギャランティー)も提唱している。

 モズラーは「租税が失業を生む」とも言っている。租税によって、人々は納税手段である貨幣を求めるようになり、その貨幣を得る手段として労働を提供するようになる。もちろんこれは肝心の仕事を見つけられることが前提だ。仕事を見つけられない限り、納税義務を果たすことは難しくなる。租税が失業を生む。だから就業保証のアイデアが必要とされるのは理にかなっている。

 「貨幣は単なる交換の道具に過ぎない」といった、貨幣と権力の関係を見えなくしてしまうような経済学者のウソ話をロシアの作家も見抜いていた。それどころか貨幣の本質と問題に対するトルストイの理解は、経済学者を遥かに凌駕していた。大事なのはアイデアだ。そうした問題を理解した上で、税制の改善や就業保証に限らず、より良い、より多くのアイデアを生み出すことが必要だ。(了)

(サムネの絵を描いたのはワシじゃよ)

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