第5弾 イタリア料理を世界に知らしめた本が翻訳され登場
金丸 弘美(食総合プロデューサー・食環境ジャーナリスト)
〈連載〉もっと先の未来への歩み
『田舎の力が未来をつくる!』刊行以降、各地の事例は、挑戦に実をつけ、さらに先の未来へ進んでいます。 その後を取材した金丸弘美さんによる特別レポートを掲載いたします。
イタリア料理の大著
『イタリア料理大全 厨房の学とよい食の術』(平凡社)が届いた。
717ページ、レシピが790収録されている。出汁の取り方からパスタ、揚げ物、煮物、菓子類まで、さまざまな料理が登場する。日本では馴染みのないものもあるが、それぞれの素材を思い浮かべ味わいを想像するだけでも楽しい。
著したのはペッレグリーノ・アルトウージ(1820-1911)。
監訳は中央大学法学部工藤裕子教授。翻訳は中山エツコ、柱本元彦、中村浩子。
アルトウージはイタリア北東部エミリア=ロマーニャ州フォルリンポポリ出身。家族は故郷を離れフェレンツェで暮らした。彼の親は絹を扱う商人で仕事を継いだ。料理に魅せられ仕事で訪れる先々で郷土の食に触れ書き留めた。
彼は独身であった。家で家政婦に料理を作らせ味を確かめ、それをまとめていった。やがて仕事を離れ遺産で食べながら文筆に専念することとなる。そして71歳のときにイタリア料理の本を出版した。
この本が出たことでイタリア料理という概念が生まれ、食文化が広く認識されることになる。最初の出版は1891年(明治24年)で掲載レシピは475。自費出版で1000部が出された。
当時、イタリア統一国家が生まれたばかり。言語も共通語がなく誰でもが読めるものがなかった。また土地土地で料理が異なり、イタリア料理という概念もなかった。
この本によると、アルトウージ氏は料理に憑かれ本にしたいと有識者や出版社にも相談をするが相手にしてもらえなかった。料理本は当時は価値を見出してもらえなかったようだ。出版したところ、読んだ人から「うちの料理にはこんなものがある」と、多くの手紙が寄せられ、その後、何度も改訂し料理レシピが追加され1911年(明治44年)に15版を重ねた。このとき5万8000部が出たというから大ベストセラーである。それが今回の本の基となっている。
本は、結婚する新婦に母親がプレゼントしたり、またアメリカに渡ったイタリア移民によって新大陸にももたらされたという。
食の文化背景から料理作りまでを学ぶプロジェクト
本の存在を知ったのは今回の本の監訳者・中央大学法学部工藤裕子教授からだった。
工藤教授は大学のゼミで、10年以上も前からイタリア北東部エミリア=ロマーニャ州の山間地の農家で宿泊ができるアグリツーリズモを運営するファジョリー農場での研修をされていて、2016年、初めて参加させていただいた(第2弾「農村観光の本場からの最新レポート」参照)。
イタリアでは農家で宿泊ができ、観光につなぐ取組が産官学金融連携で実施されており、その数は2万軒以上ある。いずれもキッチン、シャワー、ベッドなどがあり、快適に過ごせるようになっている。そのことで山間地に活性化をもたらした。新型コロナでもアグリツーリズモは環境もよく自然も豊かで部屋や敷地も広いことから多く利用されているという。
ファジョリー農場の体験学習のひとつがエミリア=ロマーニャ州にある人口約1万2000名のフォルリンポポリ市にある2006年に開設された「カーサ・アルトウージ」というイタリア料理の文化センターだった。http://www.casartusi.it/en/
2800平方メートルのセルヴィ協会の修道院を100億リラかけてリノベーションしたもので、アルトウージの功績を称え生まれたものだ。町では20年かけて食と文化を観光の事業に繋いだ。
文化センター内にはアルトウージの書斎を復元した書籍の展示、4万点の食の図書館、映像が所有され、レストランもある。料理教室もあり郷土の料理を学ぶことができる。
この事業が半端ない。出版社と交渉して英語版、フランス語版、スペイン語版、ロシア語、ポーランド語版も出され遂に日本版も生まれた。
プロジェクトは町を挙げての食の祭典、町、学校、農家、研究機関、料理店、食品店、女性の家庭料理のボランティア、そして農村宿泊のアグリツーリズモの体験との連携など、徹底させて、食文化が町全体の経済にもつながる仕組みになっている。
本棚にはスローフード協会の食の出版物がずらりと並んでいる。そのなかに「イタリアのプレシディオ」がある。地域固有のヤギ、鶏、牛などを始め、加工品を取り上げたものだ。
「カーサ・アルトウージ」の料理教室では、アルトウージ家の家政婦マリアから採られた「マリエッタ・アソシエーション」という地元のお母さんたちがボランティアで家庭料理を教えるプロジェクトがあり、家庭で食べられるピアディーナ (Piadina)作りを体験した。小麦粉、水、塩、ラードやオリーブオイルを混ぜ、麺棒で丸く伸ばし円形の鉄板で焼いて食べる。そのときに使われたのが黒豚のラード、チェリビアの塩田の天日干しの塩で、これらはスローフードのガイドでも取り上げられていることが紹介される。
料理教室にはアルトウージの著作と黒豚を紹介した写真と解説も置いてある。入口には、地理的表示GI(geographical indications=地域に由来する食品で知的財産として公的に認められたもの)の食材を掲示した地図も展示されている。イタリアはパルメジャーノ・レッジャーノ、パルマハムを始め267が登録されていて世界トップ。イタリアのなかでもエミリア=ロマーニャ州がもっとも多い。
「カーサ・アルトウージ」では、料理の素材のバックグラウンドから、その文化性、食べ方、味わい、見た目から香り、料理法まで学ぶようになっているというわけだ。
地域愛が高いしたたかな食の文化戦略
スローフードは北イタリア・ピエモンテ州ブラ市にあるNPO。1990年、出版部を作り、2004年には食科学大学も作られている。●https://www.slowfood.com/about_us/jap/03.html
スローフード協会は、大学も連携して、イタリア各地のチーズ、ワイン、生ハム、サラミ、パスタなどを始め、イタリア各地の地域の素材を徹底的に調べて本にした。またイベントでの食の体験「味覚の講座」や料理の会なども開催している。
とりわけ成功したといわれているのが「オステリーエ・ディ・イタリア」。料理店のガイドブックだ。会員が覆面調査をしてイタリアの料理とワインなどを提供する店を紹介したもの。これによって農村の山間地でも商店の路地裏であっても優れた料理店が発掘され地方まで人が訪ねて料理のレベルも上がったと言われる。
もうひとつ素晴らしい施設がピエモンテ州にはある。ICIF(Italian Culinary Institute for Foreigners=外国人のためのイタリア料理学校)というピエモンテ州政府認定のプロ養成学校だ。●https://www.icif-japan.com/
ここはアスティ県コスティリオーレという6000名ほどの山間地の町にある。1000年前の城をリノベ―ションして生まれたところ。
海外の人でイタリア料理に興味のある人に、現地でプロの料理家が教える。ここでもチーズ、生ハムなど、素材の現場から学ぶようになっている。日本人の卒業生は5000名を超えるとのこと。
日本とイタリアの農産物の輸出入をみてみると、日本からイタリアに輸出されているのは、31(百万USドル)、イタリアから日本に輸出されているのは2,989(百万USドル)と、日本の9.6倍になる(2018年)。圧倒的にイタリアからの輸入が多いことがわかる。
インターネットの『食べログ』で東京都内のイタリアンを検索すると3、494件も出てくる。
イタリアは農業生産額でEUではフランスについで2位。農産加工品の輸出でもワイン、チーズ、生ハムなど強みを発揮している。観光客も多い。その背景には、食の文化と事業と地域と観光と学びを繋ぎ、それをグローバルに打ち出していくしたたかな戦略があると感銘したものだ。
日本の和食文化も、イタリアのような展開ができなかと、妄想をしているところだ。
註:この記事は「月刊社会民主」2020年10月号から編集部の許可を受けて転載したものです。冊子掲載の記事に新たに写真が追加されています。
ICEFの写真は金丸知弘提供。
「カーサ・アルトウージ」食文化推進の町づくのことは、『田舎の力が 未来をつくる!ヒト・カネ・コトが持続するローカルからの変革』(合同出版)で紹介。
今回の記事は2020年の再訪問を踏まえて紹介したものです。
著者プロフィール
金丸 弘美
総務省地域力創造アドバイザー/内閣官房地域活性化応援隊地域活性化伝道師/食環境ジャーナリストとして、自治体の定住、新規起業支援、就農支援、観光支援、プロモーション事業などを手掛ける。著書に『ゆらしぃ島のスローライフ』(学研)、『田舎力 ヒト・物・カネが集まる5つの法則』(NHK生活人新書)、『里山産業論 「食の戦略」が六次産業を超える』(角川新書)、『田舎の力が 未来をつくる!:ヒト・カネ・コトが持続するローカルからの変革』(合同出版)など多数。
最新刊に『食にまつわる55の不都合な真実 』(ディスカヴァー携書)、『地域の食をブランドにする!食のテキストを作ろう〈岩波ブックレット〉』(岩波書店)がある。
金丸弘美ホームページ http://www.banraisya.co.jp/kanamaru/home/index.php