ラブレター

 人を欺く才能があると自負している。それが恐らく他人から見れば「中二病」と呼ばれるということも理解している。ただ純粋に、怖い。恐らく私は吐いた嘘をそのまま墓場まで持っていく、ことはおろか、自分でさえも欺いて虚偽の上に住処を作ってしまう。
 救われるのを待っている。そんなのは漫画や映画、小説や演劇、ありとあらゆるフィクションで何番にも煎じられているいうのに待たずにはいられない。「待っている」ことすら擦られ続けて味も色も失っているというのに、それでもなお。
 誰かを待っている。誰かを、驚きを、煌めきを、朽ちないそれを切望している。
 自分が恐ろしくてたまらない。どうしてくれようか、このような化物がなぜ生まれたか、よくわからない。こうして文面を滴り落ちるほどに欲塗れにしては悦に浸っている化物だ。これを化物と称さずになんというのだろう。私は正しく人の形をしているだろうか。
 私は人間に恋ができない。訂正するならばこの世で生きている人間に恋ができない。なんて愚かなのかと吐き気を催す。よくわからない感情を指針にして生きている。善悪なんてその場で簡単にひっくり返ってしまうようなピースを後生大事にしながら泣き喚いている。愚かでしかない。正直、恋なんて感情を知ったときは背筋が嫌悪に震えた。あり得ない。なんだそれは? それは恋などではなく、形容されていない欲の塊でしかない。それを理解せず、理解できないからと「恋」の文字で片付けようとする、理解ができない。善悪もそうだ、あれは利用できる言葉なだけで、善悪は誰かが決めて滔々と語るためのものではないはずだ。愚かだ。
 震えるほどの感情が自分にもある。これは恋などとは言えない。お姫様が蝶よ花よと育てられている世界線では凡そ口にできないレベルで汚らしくて禍々しい感情だ。恋なんてもので片付けてたまるか。これは、あるいは、たしかに、愛だ。
 涙が出るほど想っている。あれが泣けば私は山も川も夜も朝も超えてやりたいと思う。この世のありとあらゆる災厄の、そのどんなものからも守ってやりたいと思う。
 一度、あれが私に恋を告げたことがあった。それが愛であったのか、それはわからない。だが今よりずっと幼く愚かで最低な私は差し出された手を叩き落とした。あれは、酷く傷ついていた。酷く。もう覚えていないほど昔でなんと言って傷付けたのかはわからない。だが、ただ。傷付けた記憶だけが鮮明にそこにあった。
 つまり、私ではあれをいっとう幸せにすることはできないのだ、と思い至った。
 私はその晩、泣いた。あれは私の言葉に酷く傷付いたのだと。私は他人から向けられる恋情に怯えて、あれを傷付けたのだと。
 それでもあれとの交友は続いた。贖罪や罪悪感がなかったといえば嘘になるだろうが、あれと過ごす毎日は手放したくない日々であったから。
 随分と日の空いたある日、あれは嬉しそうに「気になる人がいる」と言った。わたしの話を聞いてくれる、笑わずに親身になってくれる、どこにいてもわたしを心配してくれる、と。
 それは、私ではないのか。そんな風に思ってしまって、自分の愚かさにやっと気が付いた。
 恋などという甘い感情ではなく、ただそこにあるのは形容できて、形容できない、数多の欲の塊だった。そしてまた、こんなに汚い私ではあれを幸せになどできやしないと思ってしまった。
 やがて「気になる人」とお付き合いを始めたらしいが、それは上手くいかなかった。私は確かにほっとしたのだと思う。だが溶けたバターのような笑顔はひとときのもので、永遠に続きはしない。それから幾人ものひとと恋情を交わしてきたあれは、いつも長いこと続かなかった。私はその度に喪失と安堵を学ぶ。これからもきっとそうだ。
 私ならば、そう思っては傷付けたことを思い出し自分を嫌いになる。自分で振り下ろした言葉も思い出せないような酷い人間には捕まらないでほしい。どうか私の醜い感情などには気付かずに、私なんかよりももっとずっと素敵なひとをみつけてほしい。私ではだめだ。隣にいるだけで一歩も踏み出せず、正しく恋を語れず、愛もぐちゃぐちゃにしてしまう。ありえない化物だ。だから早く誰かと幸せになってくれ。そして化物である私を、正しく殺してほしいのだ。
 人を欺く才能があると自負している。
 救われるのを待っている。それでもなお。
 誰かを待っている。誰かを、驚きを、煌めきを、朽ちないそれを切望している。もう頭に浮かぶのはただひとりだというのに。
 自分が恐ろしくてたまらない。どうしてくれようか、このような化物がなぜ生まれたか、よくわからない。こうして文面を滴り落ちるほどに欲塗れにしては悦に浸っている化物だ。これを化物と称さずになんというのだろう。私は正しく人の形をしているだろうか。
 早く告げてしまいたい気持ちがある。それを告げることはとんでもなく身勝手なことは分かっている。結局は私自身が傷傷付くことを恐れているにすぎないのも、分かっている。馬鹿みたいに一辺倒に、いつか捨てるからと愛を育てておいて今になってやっぱり分かっていたが捨てられないと怯えている。愚かだ。涙が出るほど。
 愛しているのだと思う。私はそれ以外に形容できる言葉を知らない。恋はしていない。煌めくようなひらめきはない。夏ならば縁側、冬ならば炬燵。あれは、お前はそういう存在だと思う。傍にいなくともいい。けれど必ずなくてはならない。愛しているのだと思う。これが愛なのだと誰かが認めてくれるかはわからない。他者の承認などどうでもいいか。ただ、お前が認めてくれればそれがいい。一番いい。
 先を望むわけじゃない。ただお前に幸せが降り注げばいいと思っている。できれば傷付かずに生きてほしいがそんなことが罷り通るのは籠の中だけだ。もう籠の外にいるひよこに傷付くなとも、泣くなとも言わない。いや、無意識に言ってしまっているかもしれないが。けれど、どうか。自分の幸せを追い求められるようになってくれ。お前の目の前に咲くのは一凛の枯れた花の茎などではなく、一面に咲き誇る菖蒲の花なのだから。どうか、幸せでありますように。幸せを知りますように。私を、振り返りませんように。
 お前はまだひよこだから、まだ親鳥の顔をしている。お前が幸せを知り自分の幸せを理解できるようになって。それで私の手を取るならばもう二度と手放さないと誓えるのに。星の数ほど差し伸べられている救いの手を認めて、その上で私の手をとってくれと願うのは、愚かで滑稽なのだろう。親鳥。笑えるほどのピエロかもしれない。
 お前がもし、このすべてを理解していたならば喜んで掌で踊ってやろう。醜く縋って跪いて、一切を投げ出してお前からの愛を乞うだろう。でも、そうでないなら、どうか。私を好きになってほしい。最後の手段ではなく、自分の意志で愛してほしい。
 なんて。

 虚偽の城に住む化物は全部を隠してここまで落ちてくるのを待っている卑怯者。

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