他愛のない欺瞞

 「反面教師」と言うと、あまり良い意味では使われていないが、言葉としては、私が母を否定し続けて自らを叱咤しながら生きてきたことの肯定なので良しとしている。また、今では、年老いた母を責める気も批判してなじるつもりもないが、母のこれまでの言行を繋げると、一人の人を否定し続けたというよりは、部分的によく理解できていないことも含まれていると思うようになった。

 私の娘の離婚手続きが全て終ったのは昨年の10月だったが、それ以来、娘が私の母に会ったのは、このお正月だった。その時、私も一緒で、離婚した自分の孫への慰めにとでも思ったのか、自分自身の話をし始めた。

 母が父と離婚したいと、母が50歳頃から言い出したのを私は記憶している。親の離婚に口出すこともないし、離婚した両親のどちらを取るかなど、既に扶養を求める年でもなかったこともあり、他人事として聞いていた。が、まあ、何をどう解決したのかしなかったのか、離婚せずに未だに一緒に暮らしている。それは、母の本意ではないと私にも母は言ってきているが、しばらく前から、それは欺瞞なのだとわかった。それはそれで良いとして、気になるのは、なぜそのような嘘を私に言うのか、その理由がわからない。と言うか、親が子である私に体裁付けて何の意味があるというのか?それが理解できないのはそうだが、一つ思うのは、親子関係を自分の理想に見立て、自己満足の材料にしていたのではないかということ。それは現実の私を目の前に置きながら、妄想の中で理想を描き、「理想の母」を演じるかのような生き方をしてきたのではないかと想像した。

 なぜこのような考えに至ったのか?

 正月の一連の娘の離婚話の際、父のことに触れて母が私の娘にこう話していた。「今まで何度もお祖父ちゃんと別れたいと思ってきてこんな年になったけど、ここまで来て思うのは、「こんな人」と、思うような人だけど、そういう人を世の中に放り出したら、そのほうが罪深いことだと思って仕方がないから一緒に暮らすことにした。」と。

 呆れた。怒りを通り越して呆れた。

 私は娘に「あれは、お祖母ちゃんの欺瞞。」と、そう即座に暴いた。昔、私に離婚しない理由として、子供から父親を奪えないからだと話したのは、あれは何だったのか?それは、子供への欺瞞だったのではないか?そう思うしかなかった。

 では本心は何?

 母が誰にも言えない、母の本当の姿は、弱さではないかと思う。気位が高く、プライドも高く、負けず嫌いな母は、他人に自分の弱さを見せずに生きてきた人だ。離婚の理由は父ではなく、自分が別れるのが怖かっただけじゃないのか?そう思うようになった。

 それなら全てに説明がつく。が、こんなことを私から言おうものなら、いい年をして逆上するんじゃないかと思う。そして、未だに私を子供扱いするように「子供が親のことに口出すな。」と、憮然とするんじゃないかと思う。非常にプライドの高い人なので、大方、そんなところだと思う。

 父を低い人に仕上げて自分がいかに崇高であるかのような言い方になるのは、自分の弱さを隠すための欺瞞と思うと他愛のないことで、そんなことに本気で怒るものでもない。馬鹿馬鹿しくなった。だから、呆れたのである。

 人の「言葉」が現実と一致しない時、何がその背景にあるのかと、このように考えるようになったのは、この母の影響とも言える。あれは本当ではなかったのか?と、何度も疑念を持ったものだったが、何十年もこの欺瞞を暴けなかったからこの間、救われたとも言える。が、ここ十年ほどで随分、自分の見方も変わった。

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