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祈りの本質

人は一度も祈った事がないという人はいないのではないでしょうか?

人生の崖っぷちに立たされた時、悲しみに暮れた時、何かを達成したい時。

これこそ、人は自分の力だけではどうにもできないことを知り神を呼びかけようと本能が働くのかもしれません。

そこで今回、私が聖書を学んでいた時に、本当の祈りとはここに要約されているのではないかと思った箇所を共有しますね。

クリスチャンが必ず祈る祈りとは〈主の祈り〉です。一度は耳にしたことのある祈りだと思います。

「そこで、イエスは言われた。「祈るときには、こう言いなさい。 『父よ、 御名が崇められますように。 御国が来ますように。 わたしたちに必要な糧を毎日与えてください。 わたしたちの罪を赦してください、 わたしたちも自分に負い目のある人を 皆赦しますから。 わたしたちを誘惑に遭わせないでください。』」
‭‭ルカによる福音書‬ ‭11:2-4‬ ‭新共同訳‬‬

私がはじめてこの祈りを知ったのは中学生で教会学校に通った時でした。でも呪文のように覚えていただけで、最近まで意味を知りませんでした。

そこで主の祈りという本を買ったり、ネットで調べたりすると、この中にとても重要な祈りがある事を知ったんですね。

それは、み名が崇められますように。これはどういう意味なんだろうと、みていくと現文では、御名が聖とされますようにというようです。 まだこれだけでは意味がわかりませんでした。

私たち人間は、神の主権に無視し、罪のある生き方を選んできました。それによって自分中心に思い思いによって、それぞれが正義とし、神の御名を汚し正しい行いをすることができなかったのです。

なので、御名を崇めることさえできませんでした。私たちは神の一方的な恵みにより豊かな人生を生きることが出来ます。それを覚え、神の恵みを正しく知り、神に栄光を帰すこと。

神の栄光とは、今自分に与えられているものは、全てが神から与えられたものであります。私たちの生活に欠かせないものはもちろんのこと、全部自分で作り出したものではない、それを感謝し讃え、その栄光を用いて生きる。

それが祈りの本質であり、人間本来の生き方なのだと思いました。

神の豊かな恵みを、素直に受け取り祈りをもって、神に感謝しながら歩んでいきたいですね。

「わたしを尋ね求めるならば見いだし、心を尽くしてわたしを求めるなら、 わたしに出会うであろう、と主は言われる。
エレミヤ書‬ ‭29:13-14‬ ‭新共同訳‬‬

福音 ルカ


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