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(51日目)あの日の苦しみに花束を

去る飲み会で、何気なく女性に「パートナーに求める条件」を聞いことがある。

その時、彼女はこう答えたんだと思う。

「私、(パートナーは)精神的に健康な人がいいなぁ」

この言葉を聞いたとき、何とも言えない気持ち、いや。何とも言えない、ではない。はっきりと、とても嫌な気持ちになった

もちろんこの気持ちを彼女に伝えることはできず。

『なんでこんな気持ちになるのだろう?パートナーに対して精神的に安定している人を求めるのは正しいと思うし、健康であることが良いに決まっているのに・・・』と、心の中で湧き上がる気持ちに反する意見を考えてみたのですが、結局、その時の僕の気持ちは落ち着くことはありませんでした。

何となくこのやり取りが記憶に消えず、モヤモヤしていたのですが、つい最近(やっと!)理由が分かったんです。

(まったくもって、遅い。いつもながらに。)

それは、自分自身が過去にパニック障害や不安障害で苦しんだこと、苦しみながらもいろんな人に助けてもらい、結果よい経験としてポジティブに受け止められるようになったこと、それらがすべて否定された。彼女の言葉にそんな印象を受けたからでした。

どんな言葉であれ、自身の願望は、それに叶う人もいれば叶わぬ人もいる。そして、その願望は未来永劫互い違わぬことがない、とは何の保証もないのだ。

思った以上に、僕の苦しんだ過去は自分自身のものとして、しっかりと、僕の中に根付いている。

大切な思い出なのだ、と改めて感じることができました。

あの日の苦しみに花束を。

過去の自分にエールを。



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