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(54日目)伴走者たれ

(1) お婆さんが近くの川に洗濯にいくと上流から大きな桃がどんぶらこ、どんぶらこ。(2) 桃から生まれたのは桃太郎。(3) やがて大きくなった桃太郎は鬼ヶ島に鬼退治に行き、(4) 金銀財宝をもって帰ってきましたとさ。
めでたしめでたし。

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なんだか、仕事の評価のされ方ってこんな感じだよなぁと常々思う。

最後がめでたしめでたしだったらいいのだが、不幸な結果に終わってしまったらどうだろうか?

さぁ、そこからPDCAだとかなんとか言って2と3を行ったり来たりしながら原因探し。ついには1まで戻って、おばあさんはなんで桃なんか拾ったんだなんて議論が出てくる。

くだらないし、無駄だし、ただストレスが溜まるだけ。こうして「結果が出せないと責められる」ということを学習した人間はどうなるか。

何もやらなくなるのだ。

過程を大事にするということ

結果が大事、ということに違を唱えるつもりはない。ある側面では事実であるから。

ただ、その結果のみを評価することで、人は本当にモチベーションが上がるのか、またやろうと思うか?

少なくとも、僕は思わない。

理由は前述の通り。

結果のみを追い続けるのはただのチキンレースだからだ。

じゃあどうすればいいの?という問いに対しては、プロセス、とくに結果に至る関わった人たちの思いにしっかりと寄り添い評価することだ、と思う。

結果は伴わなくても思いは続く。思いを評価してくれる限り、人は粘り強く物事を続け、結果(何度か失敗はするだろうが)成功を手繰り寄せることになるだろう。

皆、人生のランナーなのだ。

同時に誰かの伴走者でもあると僕は思っている。

みんなで手を繋いで仲良しこよしを推奨するわけではない。

ただ、周りを意識して、尊重して走る。転べば助ける。転んだ後はしばらく寄り添って走る。また一人で走れるようになればまた離れればいい。

ゴールは見えないけど走り続けられるのはなぜか。

苦楽を共にし、分かち合える仲間がいるからこそなんだと僕は思う。

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