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獣と暮らしすぎて、まずいコーヒーを飲んだら愛情が湧いた男の話☕

高校の時に『ツイン・ピークス』観てたせいかブラックコーヒー飲むようになって(粉のやつ)、一人暮らししてドリップ式というやつがあるのかと知ってドリップ式を毎日飲むようにして20年以上が経過して俺は中年男性になった。ドリップ式って言っても挽いてないし、コンビニで買える最安のやつだけどね?

最近も相変わらずコーヒー飲んでるがふと「基本的なことだがコーヒーって味なくない?香りがいいだけなんちゃうか」という疑問を持ち始めた。

極たまにある「あって当たり前の状態になった時に対象に疑問を抱く」やつだ。

それで紅茶とか日本茶に転向しようとして一ヶ月いろいろ試したが「やっぱりコーヒーの方がいい。俺はコーヒーが好き!」という結論に達した。

そしてふと子供の頃よく飲んでた「湯で溶かすだけの粉の珈琲」で充分ちゃうか?安いしと思い、購入して久々に飲んでみたが、まるで掃除して出たホコリを集めて煎じて飲んでるくらいまずかった!
それで「やっぱり安物でもドリップ式コーヒーって、そしてコーヒーって美味いんだなぁ」と再確認できた。


習慣で毎日飲んでるから当たり前になり価値がわからなくなってたが、疑問を呈して試すことによって対象の価値を再確認できるな、と感じ、身の回りの人に対しても愛情のような気持ちが湧いてきた。

その気持ちが拡大して今「身の回りの家族や友人知人だけじゃなく、そこら辺歩いてる知らんおっさんも子供も……皆、大好きだぞ!」という根拠不明の無償の愛が湧き上がってきました。何か半年に一回くらいあるなこの無下限の愛情……。何の意味があるの?感情の種類と出どころがよくわからない。僕は割と毎日、何一つ良いことがなさそうだと他人から見られそうな人間なのだが「俺だけは俺の幸せを知ってるぞ」と、分身して自分を見つめ直して自己肯定感を上げる……そのために起こる現象かな?と自己分析してるがよくわからない。
と言っても突然、湧いた愛情を他人に向けて通行く人に話しかけてたら気が触れた奴みたいだからしないが、無難なところで愛情を示すメールを両親に出してみた。あとついでに「これからは好きなクリエイターに対して自分が作品を好きなことを送ろうかな」とも思った。clubhouseしてたらやり取りを一度もした事ない人が僕のブログとか読んでてくれる事を表明された事が何度かあり、言われないとわからんので「自分のブログ読んでるのは6人くらいだろうな」って感じで自己肯定感が下がってるところに、そう言われたもんだからその度に凄く嬉しい気持ちになった。やっぱりそういう気持ちは具体的に言わんとダメだ。昔の父親とかは「言わんでも背中で語る」とか訳のわからん世迷い言を言って数々の悲劇が起きてきたからな。「背中で語る」とか無理やろ。


……なんだか「平凡な夫に飽きて危険な男と過ごした結果、平凡な夫の価値を再確認した主夫」みたいな日記になってしまったが、まぁ実際そうか。
でもやっぱ「自分はこれが好きだ!」と思っていても、人は変わっていくものだから5年前まで大好きだった映画を再び観たら「前ほど好きじゃないし感動しないなぁ」という事よくありますね。この確認を色んな物でたまにしてます(尊敬する人物とか映画とか本とかAVなどのエロいものでも)。その確認の結果「やっぱり俺はこれが好きや!普遍的(不変的)に!」と再確認して愛情が高まったりします。
……この、くだり物凄く年寄りくさい!大御所漫画家とか中年になった作家がエッセイで書くようなキショい意見。このくだり書くんじゃなかった。気持ち悪い文章!我ながら、大嫌いだわ……。だが本当にそう思ったから残しておき、反省して二度と書かないようにしよう。しょうもない意見は。

まぁそんな感じでした。「粉のコーヒー久々に飲んだらホコリみたいな味でまずかった」「半年に一度、無償の人類愛が湧くのは何故か」という部分だけ書きたかったのでツイートで充分なのだが何となくコーヒーに関する部分は20年以上に渡る結果だから残しておきたいと思ったのか、日記形式でnoteに書き残してみた。電車に乗ってて暇だしな。

トップ画像の『ツイン・ピークス』の2017年のシリーズは最高なのだが、配信サービスにないし皆、レンタルする習慣なくなってるしリンチ作品や旧シリーズに通じてないと理解できないので凄くオススメしにくい作品だ。シン・エヴァンゲリオンの100倍勧めにくい。まぁ『ツイン・ピークス』(2017)についてはまた今度考えよう。それより今はドリップ式のコーヒーだ。
それより今はフランスのヒゲだ(『フレンチ・コネクション』)

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