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発達障害・大人ADHDの診断 その6~私が診断を勧められたわけ~

私は2年前、37歳のときにADHD不注意優勢型の診断を受けました。大人の発達障害の診断について、よくご質問をいただきますので、私が診断を受けた経緯を何回かにわたってお伝えしたいと思います。今回は、私が診断を受けることを決めるきっかけになったイベントについて書きました。

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◾️発達障害・大人ADHDの診断 その1~私ってADHD?~
◾️発達障害・大人ADHDの診断 その2~心療内科でのカウンセリング〜
◾️発達障害・大人ADHDの診断 その3~職場へのカミングアウトを決めたわけ~
◾️発達障害・大人ADHDの診断 その4~職場に障害を伝えるときに大切だと思うこと~
◾️発達障害・大人ADHDの診断 その5~私が教員を退職したわけ~


「得意なことを仕事にしたい」と退職を決めた私だったが、退職後の仕事にあてがあるわけではなかった。よくそれで公務員を辞めようと思うよなーと自分ながらに思う。不安だってもちろんあったが、人生は一度切りだ。やってみたいと思ってしまったからにはぜひともトライしたい、といった心持ちだった。その一歩を踏み出せたのは、子ども達や先生方との1年間の日々があったからだと思う。


私の「得意」は何だろう?

仕事にできる、自分の得意って何だろう。そう考えた時、浮かんだのは「書く」ことだった。残念ながら、私の文章はとびぬけて優れているわけではない。子ども頃には、感想文やら何やらがしょっちゅう学校推薦に選ばれていたが、賞をとるまではいかないのだ。自分の実力などその程度だと思っていたし、それを仕事にしようなんて、それまでは一度も思ったことはなかった。

だけど、気づけば誰に頼まれるわけでも、お金をもらえるわけでもないのに、「書く」という行為はずっと続けていたことだった。子どもの頃は友達や先生に手紙を書くことが好きだった。中学生の頃は交換日記を何本を走らせていた。教員の仕事の中で好きだったことのひとつに、成績の所見欄があった。だいたいどの教員も学期末に死にそうになりながら所見の文章を仕上げていたが、私は本当に楽しみだった。子どもたちの日常のエピソードや課題、その子の素晴らしさを決められた枠内に伝わるように収めるには、どの場面を切り取り、どんな言葉を使って表現したらいいだろう。考えるだけでわくわくした。退職前最後の1年は、教科担任だったため、6クラスの授業を受け持っていたが、採用されるかもわからない自分の担当教科の所見を6クラス分書いては悦に入っていた。

自分の中にある形のない想いを、文章にして外に出すという行為自体に、子どもの頃からずっと心地よさを感じていたのだった。


肩書きって大事だよなと実感したイベント

「書く」を仕事にするにはどうすればいいのかなぁ。そう思っていた矢先、ライターの友人から「クリエイターEXPO」というイベントを勧められた。3日間に渡って開催される、フリーのクリエイターと、企業とのマッチングイベントだった。割引になる早めの申し込みでも、確か10万円くらいしたと思う。ライターとしての仕事をしたこともないのに、よくそんな大金をかけて申し込んだなよなーと思う。何のあても無く無職になっていた中で、とにかくチャンスがあることにはどんどんトライしようという気持ちだったような気がする。

しかも私は何を血迷ったか、「うっかりカウンセラー雨野千晴」という謎の肩書でライターブースに出店した。ライターなのにカウンセラーってなんだよ?という掴みを狙ったわけではなかったのだが、育休中に学んでいたカウンセリングのことも紹介できたら多動人ぽくてさらにいいんじゃないかと思ったのだ。カウンセラーなのにうっかりっていうのもなんだかギャップ萌えだ、などと1人で盛り上がっていた。

そしてイベント当日。ド素人な私のブースにもかなりの数の人が立ち寄ってくれた。急ごしらえで友人に頼んで300冊印刷したリーフレットは、期間終了前に無くなってしまった。しかし、あの謎の肩書のおかげで、立ち寄ってくださった方の大半は「私も発達障害なんです」「孫が発達障害で…」「同僚に発達障害なんじゃないかという人がいて…」という発達障害の悩みをお持ちの方々だった。あー肩書って大事だな、と実感できるほどに、驚きの効果である。

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▲当時のブログより 同じうっかり女子のお悩み相談も受けたの図


で、診断はあるんですか?

そんな中でも、「発達障害について、顔出しで発信できる人は少ない」と、ライティングの仕事についても複数お問い合わせをいただくことができた。しかしそういう依頼をくださった方は皆、異口同音に「診断はあるんですか」というのである。

私は当時、ブログにもリーフレットにも「ADHDタイプ」と表記していた。司馬先生の本を読み、診断や特性の濃淡を誰かと比較するよりも、そういう脳タイプがあると知った上で自分の特性に合った工夫をしていくことが大事なんだと感じていたからだ。もっと言えば、「診断なんかクソくらえだ」みたいな気持ちもどこかにあった。そんな外の尺度で自分を測られてたまるか。診断があったって、無くたって、その人が「辛い」と思えば、それは人と比べる必要もなく、辛いことなんだ。その逆も然り。障害の有無に幸せかどうかは関係ない。

それなのに、それを発信するためには確定診断がいるのだと、皆口々に言うのである。この矛盾をどうとらえるべきか?そんなことをもんもんと考えていた私のブースに、「診断済」という男性ADHD当事者がふらりと現れたのだった。

つづく。

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