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職場に伝えた「私、ADHDです」 うっかり先生復職する


2018年度に学研発行・実践障害児教育にて10回に渡り連載させていただいたコラムを、編集長に許可をいただきこちらへ掲載いたします。

ADHDうっかり元教師 雨野千晴のいつもココロは雨のち晴れ
<第7回 2018年11月号掲載>
【職場に伝えた「私、ADHDです」 うっかり先生復職する】


うっかりさんには2次障害が多い?

私は今、ブログやSNSで「うっかり女子でも大丈夫」という発信をしている。女子というには妙齢だが、そこは微笑ましく見守っていただければ幸いである。

私の「うっかり」とは、具体的に言うと「物を無くす・物を落とす・遅刻が多い・集中力散漫、または集中しすぎて話を聞いていない」といったようなことだ。これは、子どもの頃から変わっていない。


こういった特性を持つ方は、子ども時代にはあまり困り感を持たない場合も多いのだという。大人がなんとかしてくれるからだ。しかし、結婚や就職を期に不具合を生じ、二次障害として鬱になってしまう人が少なくないと、かかりつけの精神科医が話してくれた。私もそんな一人だった。

学校の成績は良い方だった。そこに優越感を持っている自分もいた。しかし、職場ではうまくいかず、教員4年目には鬱のような状態になり、そのまま産休に入った。産休・育休中に、出産や子どもとの療育通いを通して、「なんだ。みんな、生まれてきただけで価値ある存在なんだ。自分だってそうなのだ」と感じられるようになった。そこで、育休明けには、自分の「うっかり女子」的要素について、包み隠さず職場に開示して復職してみようじゃないか、という気持ちになったのだ。


職場へのADHD開示 工夫をすれば大丈夫

復職前、管理職へあいさつに行った。ミスが多く、人間関係もうまくいかなかったこと、心療内科に通院してADHDの相談をしていること、忘れ物、落とし物が多いことなどを説明した。大切な物は無くさないように、首にかけられるケースに入れて持ちあるこうと思っていることなど、前日に書いたメモを見ながら相談した。「自己開示で復職だ!」などと思っていた割には、いざその場になると自分の声が震えているのがわかった。

うんうん、と聞いてくださっていた教頭先生は、私が話し終えるのを待って、こう言った。

「先生、誰でも苦手なことってあるものよ。大切なのは、工夫すること。先生がそういうことが苦手で、こういう工夫をしていきたい、それをみんながわかっていれば、大丈夫よ。大丈夫。」

▲当時のブログに書いた教頭先生の似顔絵

うっかりのまま復職、その後

さて、その後復職した私は教科担任を命ぜられ、6つのクラスに入ることとなった。そして案の定、移動のたびに教科書やら筆箱やらを忘れて歩いた。例の首から下げる「大事な物ケース」はケースごと置き忘れるという有様だ。しかし、子ども達にも職員にも「私はうっかりしています」と宣言していたこともあってか、その度に、先生方や子どもたちが声をかけてくれ、いつも無くし物は私の手元に帰ってきた。そして1か月も経たないうちに、「雨野先生は忘れん坊」「あのケースは、雨野先生の」という認識が、学校中へ広まっていた。

▲現物。 裏にはでかでかと名前が書いてある

また、校務分掌では、学籍の担当になった。児童数や転出入の書類手続きなどを行う仕事で、全校児童、各クラスの人数、その月の転出入の数などを書類にして、毎月教育委員会に提出しなければならない。単純に数を確認すればいいことなのだが、これができない。私の作成した書類には毎月どこかに間違いがあり、教育委員会の担当者に迷惑をかけまくって修正するという日々が続いた。数か月が経った頃、遂に教頭先生から「先生、一緒にやろう」とお声かけいただくこととなった。

かくして、この書類は教頭先生と一緒に、細かく最終確認をしてから提出することとなった。殺人的に忙しい教頭先生の仕事を増やして申し訳ない思いだったが、ダブルチェックをすることで、教育委員会から修正の連絡が入ることは無くなったのだった。


そんなふうに、みんなに助けられながら一年は過ぎて行った。相変わらずうっかりは多発で、就職前に思い描いていた「仕事のできる自分」の姿はみじんもなかった。しかしそこには、日々支えていただいていることへの感謝の思いを持って、「子ども達や職員、学校のために自分ができることをせいいっぱいやろう」と奮闘する自分がいた。失敗だらけの自分のままでも、やりがいに満ちた毎日がそこにはあった。

 
その年の終わり、私の自己観察書には、教頭先生からの「正確を期する文書の誤記入を未然に防ぐよう努めた」との言葉が書かれていた。そして「責任感、連携・協力、姿勢、積極性」の項目にA評価をいただいた。それは、「できない」を開示した私に、みんながつけてくれた力だった。今までの、どんな成績よりもうれしかった。

「工夫すれば、大丈夫」あのときの教頭先生の言葉と共に、この自己観察書は、今も自分を勇気づけるお守りとして、大切に机の引き出しへしまってある。



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当時のブログはこちら↓

▲一時期はてなブログにも書いてました。散らかってます。w

教頭先生は私が退職した後、教育委員会に異動になりました。私が主催している『学び合い』神奈川の会や、ごちゃまぜフェスの教育委員会への後援申請に伺うと、いつも「がんばってますね」と言って声をかけてくださいました。この記事を読んでいただけたこともうれしかったです。

新しいことに取り組むときや大事なイベントを運営するとき、退職のときに教頭先生がくださったハンカチをお守りとして持って行っています。


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