できること・できないことと幸せって関係あるの?あの子は魔法が使えるんだよ。
2018年度に学研発行・実践障害児教育にて10回に渡り連載させていただいたコラムを、編集長に許可をいただきこちらへ掲載いたします。
ADHDうっかり元教師 雨野千晴のいつもココロは雨のち晴れ
<第3回 2018年6月号掲載>できること・できないことと幸せって関係あるの?あの子は魔法が使えるんだよ。
ADHDうっかりママ、療育に熱中する。
ADHDな私は、自分の関心が向かないことには集中するのが難しく、聞き落としたりやり忘れたりということが多いのだが、自分がこれ!と思ったことにはガンガン突き進む傾向がある。長男に自閉症スペクトラム診断が出たとき、私が一番思ったのは「これでもう迷わなくて済む」ということだった。発達障害には早期療育なるものがいいらしいと聞いていたので、これからは療育一直線だ!と火が付いたのだ。
ところが、調べれば調べるほど、療育なるものには様々な形態があり、考え方があり、地域によっても差があるということがわかった。そこで行動派の私が取ったのは、あらゆる近隣の療育施設にとりあえず通ってみる、とういう戦法だった。電話相談から、保健センターの遊び方教室、電車で何駅も先にある民間の療育施設にも通った。ABA(応用行動分析)を生かした家庭療育の勉強会に入り、自分でセラピーもした。もしかしたら脳タイプに関わらず、そんなふうに療育一直線になる保護者は少なくないのではないかと思う。当時の私は、今、発達を促す働きかけをすることで、彼の将来的な困り感が軽減されるのであれば、私がどこまでできるかにこの子の人生はかかっているのだ、と思っていたのだ。
私を楽にしてくれた、先輩ママの一言
そんな私の思いをバーンとうち壊してくれたのは、自閉症児親の会の先輩ママだった。会のお話会に参加したときに、療育の方針について先輩ママさんに相談した。すると彼女は明るく元気にこうおっしゃったのである。
「だけどさ、ま、何をやっても治るわけじゃないからさ!」
そしてカカカ、と豪快に笑ったのだった。もう成人された重度の自閉のあるお子さんのママ。お子さんの成長ぶりをお話くださる彼女の笑顔を見ながら、なんだか私はどっと肩の荷が下りたような気がした。
※当時書いたブログ記事はこちら ↓
計算ができないAちゃんとの出会い
教員3年目、私は一年生の担任になった。受け持ちの中に、笑顔がとっても素敵で、友達想いのAちゃんがいた。Aちゃんは本当によく気の利くお子さんで、私が何かを探していると(私はすぐに物をどこに置いたかわからなくなってしまうのだ)「先生、これ探してるの?」と察しを付けて持ってきてくれた。友達が泣いていると、一番に飛んで行って背中をさすってあげていた。
そんな心優しいAちゃんは、学習を理解することに困難さを抱えていた。私はその年、「子ども達が、学校生活の基礎と学習の基本を身につけられるよう指導する」と一年間の目標を決めていた。一年生の学習で取りこぼしがないようにと意気込んでいたのだ。そしてAちゃんに対しても、あの手この手を考えて、ちょっとした隙間時間に声をかけては個別指導をしていた。
けれどあるとき、いつも笑顔のAちゃんの大きなまぁるい瞳から、ぽろぽろ涙が溢れてきた。「わからない…。」そうつぶやいたAちゃんの消えてしまいそうな声を聞きながら、私は自分のやってきたことは間違っていたのだと悟った。もちろん個別指導が悪いというわけではないのだが、私が良かれと思ってやっていたことは、結果的にAちゃんを追い詰めてしまっていたのだった。
そしてその時、私は気が付いた。「できない」を「できる」にすることに、必死に取り組んできた自分。学校は学ぶところなのだから、それが大事なことに変わりはない。だけど、もしかしたらそれよりも大切なことがあったんじゃないだろうか、ということに。小学校生活をスタートしたばかりの子ども達に対して、私が一番に取り組むべきことだったのは、「学校って楽しいな。」って思える場所を作ること。できないことがあっても大丈夫って、心から安心してもらえることだったんじゃないかな、と。
あの子は魔法が使えるんだよ。
さて、このAちゃんのお話には後日談がある。育休明けの一年間、私は勤務校まで徒歩で通っていた。学校へ行く途中には川があって、そこにかかる橋を渡っていく。橋を渡る途中で、ちょうど中学校へ登校する途中の卒業生何人かにすれ違うことがあった。成長した彼らは、恥ずかしいのか私のことを覚えていないのか、こちらが声をかけなければ大抵はそのまま通りすぎていく。
その中に、Aちゃんの姿を見ることがあった。彼女はいつも私を見つけると、満面の笑みで「先生おはよう!」と声をかけてくれるのだ。そうすると、私は一日の始まりを本当に幸せな気持ちでスタートすることができた。そんなふうに私の一日をハッピーにできるのは、朝すれ違う人たちの中で、たった一人、Aちゃんだけなのであった。
私たちの幸福度は、必ずしも何かができるから、できないから、で決まるわけではない。できる・できないにかかわらず、その人固有の輝きというのはどの人の中にも必ずあると、私は信じている。Aちゃんだけが私に笑顔の魔法をかけられるように。
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