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茶室の腰張

くらし器てぬぐいGochaの2Fには茶室があります。
間取り、寸法は国宝『如庵』に倣ったもので、N庵と呼んでいます。
Nの由来は様々ですが、星新一の小説に登場する『エヌ氏』説が有力です。
国宝『如庵』の腰張には古い暦が使用されています。茶室を作った『織田有楽』の考えによるものだそうです。
N庵の腰張りには頼山陽の著作『日本外史』の一部を使用しています。明治の頃出版されたいわゆる古書です。
『古書を腰張にっ!もったいない!』とおっしゃられる方がおられました。(←実際に)
まぁこれはホントその通りなのですが、この場所へ使用するに至った経緯もあるのです。

平成16年に瀬戸内地方を襲った台風16号を覚えていられる方はもう少ないかもしれません。
近年では日本各地で台風の風水害はいわば通例となっているようです。
当時、私は瀬戸内海に面する笠岡市の笠岡港から10数メートルの場所に住んでいました。
いわゆる『家から海が見える』場所です。もちろん潮の香や船の音などは日常生活の一部でした。
8月30日深夜、瀬戸内地方に近接したその台風16号の高潮により、住んでいた家は床上浸水しました。
1階の畳がグワングワンと浮いてきたり、差しっぱなしだったコンセントからビリリッ!と電気が走ったりしました。
何かに咬まれたのか、と思ったり。逃げるという気はあんまりなかったのを覚えています。
というのも、それまでも『高潮』の被害にあったことはあったのですが、
私の住まいが、かえって海に近い立地のため少し土地が高く(堤防的な意味合いかな)あまり海水が溜まったことはなかったのです。
その『高潮』は違いました。高潮の時刻が近づき、気になって近所の人たちと海を見ると、いつも船が係留されているのを見ている地点よりも、随分と高いところに船があったのです。
それからはまさしく『あっという間』でした。
いつの間にか足元には海水。
ただ、家のなかのモノを2階へと一生懸命運んでいました。
(履物を2階に運んだことが、その後の生活に一番助かりました。後はイマイチですね。慌てていて、何をしたやら・・・みたいな感じでした。)
今から思い返せば危ないことですね。

という経緯です。そうなのです。
頼山陽の古書はその時海水に一部浸かってしまったのです。
ただ、先祖が持っていた本なのでそのまま処分するには忍びなく、剥がせなくなった箇所もそのまんま乾かし置いていました。
で、運よく機会に恵まれ、倉敷の地で茶室を作ることになりました。
その際、茶室をつくる空間が『如庵』に近いことが幸いしたのです。
腰張に古い暦はありませんが、あの古書が残っています。使用できる頁を吟味しながら腰張へと。

・・・そうしてできたのがN庵なのです。
『古書を腰張にっ!もったいない!』ホントその通りなのですが、古書をなんとか残そうという意志のもとできたのがこの腰張なのです。
床の近くの部分には縁あったのか、織田氏の系譜の部分を貼っています。有楽斎の名もあります。
今川との戦に至る部分等も断片的に。
その他の場所には、残存した頁を貼っています。
頼山陽の日本外史は格調高き、漢文です。
不勉強ながらも、腰張を読み『歴史』を感じることができたらいいなぁと思いながらも、今日も慌ただしく過ごしています。

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