都市と地方の両面から、持続可能な未来をつくる:アスノオト代表取締役・信岡良亮
GOBが毎週月曜に開催する「ランチ会」では日々の学びをシェアするほか、テーマに合わせて各方面で活躍する起業家などをゲストに迎え、お話を聞く機会を設けています。(*現在はオンライン等で適宜開催)
今回のゲストは株式会社アスノオト代表取締役の信岡良亮(のぶおか・りょうすけ)さん。アスノオトは全国各地での学び場やコミュニティづくり、新たな働き方の提案などを通じて未来に向けた新しい関係性づくりに取り組んでいます。
*2020年1月25日に開催したオフィスでのランチ会の様子を記事化したものです。
人間のテーマは「成長」から「持続可能」へ、人口2,300人の離島に移住
信岡 良亮さん(以下、略) もともと私は東京のITベンチャーで2年半ほどウェブ制作の仕事をしていました。その時に、働きすぎが原因で身体を壊してしまったことから、行き過ぎた経済や環境問題に興味を持つようになりました。
『成長の限界』という本では、人間は地球1個分の資源を使い尽くす勢いで生活していて、このまま成長を続ければ地球は滅んでしまうから、これからの人間のテーマは「成長」ではなく「持続可能」だ、と言っています。一方でその頃私がいた会社は成長して上場を目指しているタイミングでした。なんだかその成長の先に人間の未来がないように感じるようになったのです。
その後2007年に退社し、24歳で島根県隠岐群の海士町(あまちょう)にある中ノ島に移り住みました。当時の人口はおよそ2300人、うち100人ほどが移住者でした。1日2便しかないフェリーで本州から3時間ほど。そんな場所にも関わらず、ここ数年で移住者は630人ほどに増加し、今では人口の約20%を占めています。離島にも関わらず、待機児童が出そうな状況で、空き家がなくて困っているくらいです。
私はこの中ノ島を、丸ごと学びの場にしたいと思っています。持続可能な社会を作りたいと思っても、今の日本には持続可能であることを学べる場所がありません。だからまずはそもそも持続可能であることを体感できるモデルを作り、島の未来を作りつつ、そこでの学びを島外の人にも提供できたらと思ったのです。現在では、上場している企業の労働組合などを中心に年間500人ほどが、私たちのコーディネートのもと、島で研修を受けてくれています。
3.11でも生き方が大きく見直されることはなかった
こうしたプロジェクトの方向性を決める上では、「3.11」が大きなきっかけの一つになりました。
2011年の東日本大震災を経験し、変な言い方ですが、あれだけの大きな出来事が起きれば、世の中が今の生き方を見直すだろうという、ある種の期待を持っていたのです。しかし蓋を開けてみれば、経済の立て直しは急がれるものの、その土壌にある思想や生き方が大きく見直されることはありませんでした。世の中の流れはそう簡単に変わらないと気づいたのです。
そうした状況に対するアプローチの一つとして海士町でのプロジェクトがあります。田舎で持続可能な未来を実現したモデルさえ一つ作ってしまえば、オセロの角をとったように、社会全体を変えていくことができるのではないか、と。でも現実には角を一つ取ったくらいでは世の中の流れに勝てないことがわかってきました。だから、角をもう一つ取ろうと思って、会社として島でのプロジェクトは続けつつ、私だけが東京に拠点を移すことを決めたのです。
田舎の素敵なモデルを作るというところから、現在は都会と田舎の両方から未来を共に作れる関係性を作る、というところに事業領域をシフトしている段階です。
人口増加のカギは本当に経済にあるのか?
私がこれらの活動を通して探究しているのは人口減少問題です。
人口2,300人の島では、本当にわずかな人口の増減が死活問題につながります。人口が減れば島のパン屋は確実に売り上げが下がってしまうのです。人口が経済の基盤であるということを痛いほど理解できます。これから人口減少が叫ばれる日本のなかで、地方都市も焦りを感じ始めています。一方で都会は人が多すぎて困っているから、なかなかこの問題の深刻さに気づくのは難しいかもしれませんね。
さて、ではどうすれば人口減少を食い止めることができるのか。よくある理屈が、経済を立て直さないと雇用が生まれないから人口が増えない、という話。でもこれって本当なんだろうか? と思ったんです。ここの真実が地方に行くと見えてきます。
一般的に、「環境」「社会」「経済」の3つが持続可能になる場所がサステナブルだと言われます。私もはじめはそうだと思っていましたが、実はこの図に一つ間違いがあります。
それは「サイズ」です。この図では3者が同じサイズで語られていますが、当然ながら、環境がもっとも大きくて、それはそもそもサステナブルだったわけです。その中に人が社会を作り、物々交換や自給経済を成立させました。さらにそこに経済という仕組みを持ち込んだのは、わずかここ数百年のことです。
その間に経済が行き過ぎた結果、社会と環境を維持できなくなり、経済中心をやめるためのコンセプトとして、サステナビリティが登場しました。でも結局、現在サステナブルが語られるのは経済的な視点ばかりです。経済モデルの行き過ぎで環境と社会は壊れているから、経済で物事を考えるのを止めようと言っているはずなのに、「そのビジネスモデルは(経済的に)サステナブルなのか?」という問いを通して経済的にサステナブルな事業ばかりが目指されてしまっています。
私たち、特に都会に住む人は大きすぎる環境問題に対して個々人が何をすべきなのか、その実感を持てていません。しかし、環境と接続する地域社会(田舎)に触れることで、環境に優しい暮らしやワークライフバランスを模索できる可能性があると思うのです。
日本人は「絶滅危惧品種」
現在の社会がどの程度持続可能なのか、その指標として合計特殊出生率を参照してみましょう。
2018年のデータでは、東京の出生率は1.2。日本全体で1.42です。親1000人に対して孫が1000人いれば出生率は2.0です。ですから2.0未満は人口として持続可能ではないということになります。1.4というのは親1000人に対して孫が490人ほどです。3世代で個体数が半分以下になることを生物学上は「絶滅危惧品種」と呼ぶことを考えれば、その深刻さがわかるのではないでしょうか。
今の日本社会は全く持続可能ではないのです。日本の人口は、弥生時代以降微増を続け、江戸時代の平和で3000万人、明治維新で富国強兵が進み、現在は1億2000万人です。これが今、戦争も飢饉もないのに人口が減っていくという有史以来なかった出来事が起きようとしています。
さらに都市化が進めば進むほど子どもを産まなくなります。その結果、例えば移民の受け入れで解決すればより格差が加速し、分断が進みます。社会がそうなる前に、今のうちに子どもを産み育てやすい田舎へと移動していくことで、日本として子を産み育てやすい社会を作ることができるのではないかと思うのです。
“末端冷え性”の日本に必要なこと
現在、実質的な収支を見れば東京以外のほとんどの自治体が赤字です。しかし、だからと言ってそれらを東京以外の問題として片付けるべきではありません。東京をはじめとする都市部に人口が集中する日本では、生まれてから幼少期と、高齢期のコストがかかる時期を地方で過ごし、その間の収益が出る時だけ東京で過ごす人も多いでしょう。ある意味地方に赤字を押し付けている状態で、東京だけが黒字であると主張することに意味はありません。
日本全体を人の身体に例えるならば、現在の日本は「末端冷え性」です。足の先が寒いからと言ってそこだけを温めようと地方に補助金を出しても根本的な解決にはなりません。経済的に黒字の都会と、赤字の田舎という考え方はやめて、どちらも一気に変えないといけないのです。
地域を旅する大学「さとのば大学」の実践
最後にこうしたビジョンを描く中で、私たちアスノオトが具体的に取り組んでいる事例として「さとのば大学」を紹介します。
さとのば大学のコンセプトは「地域を旅する大学」。1年ごとに田舎の面白い場所を旅しながら学びます。現在は全国4地域(岡山県西粟倉村、島根県海士町、宮城県女川町、宮崎県新富町)と提携しています。
ただ旅をするだけではく、受講者は各々「プロジェクト」に携わります。例えば岡山県西粟倉村では、地域で山林を経営する企業とパートナーシップを組み、「森を世界のあそび場にする」というテーマを掲げてプロジェクトを進行していきます。プロジェクトを通して地域の人とつながり、一緒に働く中で自分の人柄や能力を見てもらう環境を作れたらと思っています。
各地域に散らばる受講者ですが、毎日午前中にはビデオ会議でみんながつながり、そもそも何がしたいのか、プロジェクトをどんな風に進めていけば良いのか、などを話し合います。午後には自分たちの地域でプロジェクト活動です。オンラインでは各地域で起きていることを水平状態でシェアし、オフラインでは土地に根付いている垂直軸の感覚を持つといった形で、ハイブリッド型の学びを作っています。
「地方は社会課題に接続する感覚値が近い」
私が東京で働いていた時、キャリアを考えることは、イコールより稼ぐこと、だと思っていました。より文明の高いところへと登っていくのがキャリアアップなのだと。だから身体を壊して東京で生きていけなくなった時に、もう人生ダメだと思って、田舎へ行きました。でも、そうではなかったのです。例えば海士町の初任給の平均は15万円ほど。東京の感覚では絶対暮らしていけませんよね。でも実際に住んでみたら、貯金すらできる。
それに都市にいる方がいろいろな情報が入ると思っていましたが、意外と田舎の方が幅広いコミュニケーションがあることに気づきます。だって2歳から80歳までの人とおしゃべりするわけですから。都会にいると偏差値50以上の年齢が10個ほどしかわない人としか会わないし、話もビジネスに関するものだけでバリエーションがありませんでした。田舎は私たちの社会としての視座を広げてくれるのです。
地域でお世話になっているある農家のおじいさんはこんなことを言っていました。「わしにはなんの自慢もないけど、自分の育てた米と野菜で息子を育てました。それが自慢です」と。とてもリアルですよね。都市にいると、課題や自分の生きがい、ビジネスってなんだろうと考えても、なんだかリアリティがありません。大きすぎるシステムの中の100万分の1にしか関われないからです。それが地方だと2000分の1に関われる。地域の農業を変えたいと思ったら、3人の農家を説得できるかにかかっているわけです。社会課題に接続するっていう感覚値がすごく近いのですね。
日本各地に、未来を諦めていない田舎がたくさんあります。そこへ留学することで、全国どこででも生きていけるし、十分に楽しめるのだということを感じてもらいたいです。一つの場所でしか生きていけないと思うとそこでダメになったら路頭に迷う、解雇されることに怯えなきゃいけません。しかし解雇されたら別のところで生きていけると思うと主従関係がフェアになります。
そういう意味で日本全体にいろんな居場所がある状態を作ろうと思った時にいろんな地域に旅に出るっていうのは面白いんじゃないかと思って、こうした活動を続けています。
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