2020/04/22

ネットサーフィンしてたら1日終わった。なんてこった。フードロス救済系のサイト漁ってました。なかなか色んなものが信じられない価格で売られていて、見ているだけで楽しい。量が多いので、一人暮らしには買えるものが限られてくるけど、なるべくスーパーとかじゃなくてここで買いたいと思う。物流の負担を増やすのは本当に申し訳ないが…。

なんだかんだこういう問題が気になってしまうので、「芸術以外全く興味ない」タイプの人間にはなれないのが、ちょっと悔しくもあったりする。社会なんて知らねぇ、食事は死なない程度にすればいい、みたいなのってやっぱり憧れてしまうけれど、まあこう思ってしまっている時点でそうはなれないのであって。フードロス問題にがっつり足を踏み入れて運動していく、ということはしないが、常に忘れないでいて行動したいとは思う。できることをできる範囲でやる。
恐らく食料の問題にかなり敏感に反応してしまうのは農家で育ったからだと思う。生産の現場の空気を間近で感じて、親たちが一生懸命作物を育てている姿を見て、そしてしつこいほどに食べ物を大切にしろと教えられて、この国の安定した食糧状況にとてつもない有り難みを感じるようになった。世界には食べたくても食べられない人たちがたくさんいる、ということはもちろんなのだがそれだけではなく、人間は食べなければ生きていけない、そのために植物や動物の尊い生命をいただいているのだ。
そういう感覚を持てている人は、果たして現代社会にどれほどいるだろうか。超効率化、超高速化した社会、そして食糧が飽和している状態が当たり前で、深刻な食糧不足など到底想像できない社会。その中では少しくらい食品を腐らせたり、食べ残したりしても何にも問題はない。また買えばいいのだから。いちいち食事の有り難みを考えるなど時間の無駄だし、食事は生活上最も手軽な娯楽に過ぎない。ファッションでありホビー。そこには生産者や原材料など存在しない。
こういう意識はたぶん、実際に食糧危機に陥るか、一次産業に携わるかしなければ取り除かれることはないと思う。だから気づいている人たちだけでも、無意味と思わずに実践していかなければいけない。食べることに積極的になり、そして食べることを尊重していたい。昨日痩せたいとか言ってましたけど、それはそれ。無駄にはしない。

「西洋史とキリスト教」半分まで読んだ。これをきちんと理解するには、ユダヤ教とキリスト教自体についてもっと勉強する必要がある。キリスト教、おもしろいです。

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