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とりとめのない話

自転車を買った。マウンテンバイクほどの攻撃力はないけれど、ママチャリとは呼ばせないぜとでも言いたげな姿勢で走る深緑色のやつ。生活に余裕があったわけではなかったけれど、コンビニ弁当だけにお金が消えていき、他に目立った趣味や娯楽がなかったのが味気なく、思い切ってみた。特別用事がない限りは家とコンビニとの往復だけだった生活区域は彼の登場で大きく広がり、一駅隣のTSUTAYAや銭湯、果てには「ちょっと風でも感じようかな」などというガラでもない気持ちに従って、2駅も3駅も先まで川沿いに自転車を走らせたりもした。6月の心地よい風に満ちた、スーパー帰りの紫陽花咲く道は、空っぽだった自分の生活を「それでもいいんじゃないの」と肯定してくれるような無敵感に包まれた。

自転車を手に入れ、行動範囲も気持ちも大きくなり、フットワークも気持ちも軽くなったので、一駅離れたところに住む友達とよく会うようになった。一駅離れてるって妙なもので、どちらかがどちらかの家に遊びに行かなくちゃいけないから、行くのはめんどくさいし来てもらうのは申し訳ないし、そもそも家から出たくないしで、私がサークルをやめてからは疎遠気味だったのだけれど、自転車効果は絶大で「全然私が行くよ!一駅分自転車漕がせて!」と半ば無理矢理に友達の家に転がり込んで遊ぶようになった。
友達は映画が好きで(映画が好きだという表現を彼女は嫌がるけれど私から見ればさながらシネフィルと呼んで差し支えない)、遊ぶことといえば二人でマリオカートを飽きるまでやった後、私が途中にあるTSUTAYAで借りてきたDVDを観るという流れだった。

友達に対して私はというと、正直言って映画はあまり好きじゃなかった。いや、しばらくの間友達と熱心に映画を観る期間を通じて、好きじゃないのだと気づき始めた。どうでもいい恋愛ミュージカルやフワフワしたファンタジーのお話は、いい意味で何も感じないから好きだったのだけれど、映画に出てくる言葉や表現のささくれがいちいち私を嫌な気持ちにさせるから、最後までいい気持でいられることはほとんどなかった。ヌーヴェルヴァーグやネオリアリズモを見たって、そんなことを教えてほしいわけでも受け取りたいわけでもないのにと、わざわざわかっているような嫌な気持ちを引き起こさせるし、楽しい気分になりたいからと借りてきた、ポジティブになれるをうたい文句にするコメディ系の映画は一つ残らず大嫌いだった。イエスマンを見た時、冒頭の一人でレンタルDVDを眺めるだけの人生を送るジムキャリーを見た時、心がシャットダウンして何も考えられなくなり、映画が終わるとそのまま友達の家を後にしてもう遊びに行くことはなかった。

またあの時みたいに全てが私を攻撃しているように見える。私が無味乾燥な人生を歩んでいることが、私を映す俯瞰レンズを通して嫌と言うほど見えてくる。些細な人間関係と私の癇癪でやめてしまったサークルに未練などはほとんどないけれど、これからの人生でもきっと起こりうる季節的な心の不調と癇癪で、こうして親しい人や関係を失っていき、最後は独りで嫌な気持ちになりながら部屋にこもりレンタルDVDを眺めるしかない人生になっていくんだなと思い始めたら止まらず、しばらく何もできずに部屋に引きこもることになった。
ちょうど1年ほど前に取るに足らない理由でサークルをやめてから、私は留年して再び3年生を、同期にあたる友達たちはみな次々に進路を決めて、思い思いに生きているんだと目に映る。私のインスタグラムはといえば、自転車を買った投稿を最後にストーリーですら更新されることはないというのに。タイムラインを更新する心の力も消え失せて、家にこもりYoutubeばかり眺めるようになった。

しばらくして友達からLINEが入った。「銭湯いこ」だそうだ。一人で部屋にこもっていると、気づいたら2~3日シャワーを浴びてないなんてことがよくあって、銭湯いくならまずシャワー浴びなきゃという意味わからない気持ちになってシャワーを浴びてから家を出た。現地で待ち合わせて友達と会った後銭湯に入った。友達は一緒に行こうと誘ってきた割には強気の入浴で、プラス200円でサウナは付けるし、サウナ水風呂のサイクルをきっちり時間を決めて回すタイプの強者だったのでついていくことができずに、私は露天風呂の椅子に腰かけてなんとなくやり過ごした。
銭湯を出てコンビニでアイスを食べた。二人の間の会話といえば友達から出てくるありとあらゆるサウナの効能と攻略法で、「ほうほう」と言いながら聞き流した。アイスを食べ終わると「よし!」と言って友達は自転車にまたがり走り出した。私はあわててついていく。
友達の自転車はいわゆるママチャリだったけれど、力強く漕ぎ始めた彼女はグングンスピードを出して走った。
「誰かと自転車で一緒に走るの!久しぶりだなー!」
という声が、風の音と混じって私にぶつかった。
「私、自転車に乗るの好き。歩くのより進んでるって感じするから。」
「ありがとね!楽しかった!また行こうね!」
彼女の声が、前から風に乗って流れてきて、私にぶつかり、また私の後ろへと流れていった。


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