車窓から
「博多まで一時間ちょっとだとよ。寝てるひまもねえよ。」
500ミリの缶ビールを二本握ったおっさんが、完全な独り言をデカイ声で言う。
ホームをふたつも跨いで、遠い改札口に立つ彼女は、窓越しに僕の人差し指の先にすっぽり収まる。
収まって見えなくなるほど、距離は遠い。
彼女から、僕の座席が見えるはずはない。
僕は博多に向かう特急列車の中にいる。
そして彼女は、入場券で入った改札のすぐ前に立っている。
大学への進学だから、保育園から幼馴染みの彼女とは、離れ離れになる。
ただ、おっさんの言うように一時間ちょっとの距離だ。
遠距離恋愛と、言うほどでもない。
旅立の日。
僕らは焦るように早朝に待ち合わせ、かつて行ったデートコースを総集編の様にまわった。
終始喋り続け、笑い続け、不自然なくらいにはしゃぎ続けた。
でもどんなに笑っても、それが僕らの終わりを、ハンカチでも振るように突き付けてきて、焦った手足が無駄に動き、それがただ恥ずかしい。
二人で過ごした時間が嘘だったかのような、お互いの白々しさを隠せないまま、僕らはそれを無視してやっぱり笑うしかなかった。
そうする事しか、まだ幼い僕らには出来なかった。
駅前のドラッグストアでお揃いのマフラーを買ったのはただの思い付きだ。
苦し紛れと言っても良い。
ただ、何をしても上手く行かない日ってあるんだな。
季節外れで風景から浮いているのが、少しだけ惨めだった。
地味なクリーム色のマフラーを、僕らは何かの罰の様に首に巻いて街を歩いた。
駅の改札を抜ける前、立ち止まって振り向いた僕に、彼女はマフラーを首からあっさりと引き抜いて「さようなら」と言った。
二人のどっちかが言わなくてはならなくて、僕が言えなかった言葉を、彼女は罪を被るように呟いた。
僕はマフラーを巻いたまま、振り返ってホームを歩いて逃げた。
彼女と、彼女との時間から。
特急列車は少し遅れてホームに着いた僕を、最後の言い訳を断つように、まだ待ってくれていた。
座席の窓から改札口を見る。
彼女はぼんやりと霞んで、まだそこにいた。
何かの名残を見ているのか。
何かを探そうとしているのか。
いいや。
終わりを、見届けたいわけじゃないのだけは分かる。
「待ってる間に一本飲んじゃったよ。足りるかな、酒。」
おっさんの声を聞きながら思う。
せめて。
さようならだけは、僕が言えば良かったと。
ベルが鳴り、ゆっくりと特急列車が動き出す。
列車の窓から遠い改札が流れていく。
僕の視界から消えるより先に、彼女は背を向けて歩き出した。
僕のいない街を向いて。
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