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普通の人が経験しないようなジェットコースターみたいな人生だったので紹介します(前編)

※2019年12月23日に全文修正しました

初めまして、ニューヨーク在住のKei(@smallnycer)と申します。

ニューヨークは18歳から毎年旅行で訪れていて、26歳の時にアメリカ人結婚してUS永住権保持者兼経営者になったと思ったら、急に離婚が決まってニューヨークでホームレスになってしまって...という感じで結構ジェットコースターな人生を経験していたりと、、、結構Crazyな人生送ってます。

今は自分自身で複数のブログを運営しながら「コンセプトプランナー」として企業様や個人の方とお仕事をしたり、セミナーで登壇させてもらったりしています。

ニューヨークに移住した経験と離婚の経験から「自分の人生を楽しむためにはもっと色々経験が必要」と感じて新しいことへの挑戦と海外をもっと知るために海外旅行によく行っています。こんな生活が出来るのもインターネットがあればどこでも仕事ができる環境と自分のライフスタイルを理解してくれているクライアントさんのお陰です。ありがとうございます。

この記事では初めて自分を知る人にしっかり自分の情報を伝えたいので1つ1つなるべく簡潔に書きます。長くなってしまったので前編、後編に別けて紹介させて頂きます。

【高校時代は頭も悪いし、悪質なイジメにあっていた】

「ニューヨークで生活してる」と言うと昔は相当頭がよかったり、クラスの人気者だったと勘違いされやすいですが、自分は真逆です。

高校は男子校に行ったのですが、入学当日にヤンキーと仲良くなろうとした結果殴られて「焼きそばパン買ってこい」と言われて、パシられる漫画のような学校生活がスタートしました。ココから3年間イジメにあいました。

勉強も全くできなくて毎回テスト返却の時は「赤点ライン30点以上であってくれ!」と低レベルな神頼みをしてたけど、ほとんど赤点で再試ばかりの頭の悪さ。もちろん大学なんて行けるわけもなく、浪人の道へ。

高校の卒業式は「殺人予告」が出ていたので行けなかったですが、当時からmixiというSNSがあったので周りの同級生たちが進学したり、就職してる情報は入ってきました。みんなキラキラ未来に向かって走ってる感じがあって、逆に僕はしたいこともなく、やることもないのでアルバイトをすることにしたのですが「人生の負け組み感」が半端なかった。

周りは大学に行って楽しそうに人生を楽しんでる中、自分は目的もなく毎日興味もない仕事を黙々と続ける日々。

「周りは就職して結婚して幸せになっていくなか、自分は何を...」

って思うことが多くなり、バイトを始めて数ヶ月後には社会不適合者の烙印が押されたような気分になる瞬間が何度かあって、吐きそうになった。そんな情緒不安定な自分を助けてくれたのが高校時代にイジメを忘れるために始めた「ブレイクダンス」だった。

【ニューヨーカーとの日本での出会いが人生を変えた】

高校1年生の時点で居場所が学校になかった僕は家に引きこもりがちだった。ある夜のこと、ちょっとエッチな番組「トゥナイト2」を見ようと思ってリビングでテレビをつけたら「PaniCrew」というダンス集団のパフォーマンスの中の数秒でブレイクダンスをする人がいた。それが「植木豪」だった。

当時の映像がないので別の動画になるけど、本当に衝撃だった。生まれて初めて「かっこいいな...これやりたいな」って心が震えたのを今でも昨日のことのように覚えている。

それから何度も彼らの番組を録画したテープを見ながら、家のリビングで練習をしていた。そんな自分を見た母さんが「そんなにダンスやりたいならスクールに行ってみる?」と言ってくれた。迷わず行くことを決めた。

それからダンススクールに通いながら、学校の休憩時間はヤンキーから逃げるように人けがない場所に移動してダンスを練習してた。あれが高校1年生で3年生まで人けがない場所でダンスを続けながら、mixiで出会った同級生と駅とか市役所前で休日は練習をしていたし、高校を卒業してからもブレイクダンスは続けた。というよりも当時の僕にはブレイクダンスしかなかった。

そして、あるバイト帰りにいつも通り駅のホームで終電まで練習しようとして踊っていたら、知らない外人が流暢な日本語で「写真撮っても良いですか?」と聞いてきた。彼こそがニューヨーク出身の交換留学生で日本にきていた「ジュリアン」だった。彼との出会いが自分の人生を変えた。

僕は初めて日本語が話せる外国人と出会ったこともあって、彼とはたくさん話をした。1時間くらい話し込んでいたら彼が「3週間後に一回ニューヨーク戻るんだ!一緒に来る?」と笑いながら言ってきたので、ノリで「行くよ!メールアドレス教えて」って笑いながら言った。

この一言がきっかけで本当にニューヨークに行くことになった。

ブレイクダンスは元々ニューヨークで生まれたものだったこともあって、英語も全く話せなかったのに興味津々だった。若いって不思議で怖さは全くなかった。

当時はお金がなかったのでクレジットカードで航空券を購入して、宿泊先は彼の家に泊めてくれる話だったので、3週間の生活費としてなけなしのお金5万円だけドルに換金して行くことにした。

彼と日本で出会ってからニューヨークに行くまではメールのやりとりだけで、先に彼がニューヨークに戻るということだったのでニューアークの空港で僕をピックアップしてもらうことになっていた。

【初めてのアメリカは僕にとって衝撃だった】

ニューヨークへ行く飛行機は僕1人だった。だけど、周りの乗客は日本人だらけだったから緊張感はさほどなかったけど、イミグレーションでの面接はかなり緊張した。だけど、面接官も僕が英語が全く話せないことがわかって諦めたのか「もう行きな」と数分でスタンプを押して、通してくれた。

そして、荷物を受け取って外に出るとジュリアンがそこにいた。

今考えると出会って2回目のニューヨーカーが空港まで本当に迎えにきてくれたのは奇跡だと思う。ジュリアンは本当に良いやつだった。もし彼が来なかったから帰りのチケットまでの3週間どうしてたんだろ?って考えると本当に怖い。

(実際に多くのアメリカ人は1回日本であった人を空港に迎えにくる可能性はだいぶ低いだろうな...)

そして、ニューアークの空港からマンハッタンから1時間ほど離れたコネチカット州にある実家に車で移動した。

行きの車中で「マクドナルド行ってみる?」と言って初めてアメリカのマクドナルドに行って、Mサイズのドリンクを頼んだ時にXLくらいのサイズのドリンクカップが出てきたときは「まじかよw」って笑ったのを覚えている。

そして、家の庭には野生の「鹿」や「リス」が毎朝遊びにきて、日本との違いに驚くあまりだった。僕の実家には来ても「雀」くらいだからね。

全てが新鮮だった。

だけど、悲しいのが彼は引きこもりだった(笑)僕は正直彼の家があるコネチカットがニューヨークのメインの州だと思っていたが、今考えるとコネチカットは超田舎の場所でマンハッタンからも1時間以上かかる場所だった。そんなことも知らずに僕は1週間くらい彼のテレビゲームに付き合って、家に一緒に引きこもっていた。

さすが何もない場所に1週間いるとおかしいことに気付いて彼に「ニューヨーク何もないな」って言うと「多分Keiが想像してるニューヨークはココじゃなくて、マンハッタンだよ。行ってみる?」と意味のわからない話を急にし始めて、着替えて、どこかに行く準備をし始めた。

僕は何もわからないまま、彼が乗り込む電車に乗り込んで行き先もわからない電車の中でただただ最終駅に到着するのを待っていた。

【初めて足を踏み入れたニューヨークで人生が変わる】

なんて言ってるかわからなかったけど、電車は最終駅に止まってドアが開いた。車内にいた人は同じ方向に歩いて行ったので僕たちも同じ方向に歩いていくと...

そこはニューヨークで1番大きな駅「グランドセントラル駅」だった。

(関連記事:映画でよく使われる「グランドセントラル駅」に初めて行く人向けにオススメの歩き方を紹介します

初めてグランドセントラル駅を見たときは感動だった。こんな美術館みたいな駅が存在することに驚いた。

そして、彼は自分の手を引いて「よし、買い物に行こうぜ」と行って5番街に行って、その後はソーホーにショッピングに行った。街中で歩いてるニューヨーカーは雑誌で見たことあるような洒落た人ばかりでキョロキョロしながら街中を歩き回った。そしたらジュリアンが「ブレイクダンス好きならストリートアートも好き?グラフィティーだよ!」って言い始めた。

「え?グラフィティー?」って僕は聞き返した。今ならグラフィティーが何かわかるけど僕の地元にはそんなものないし、彼が興奮しながら自分の手を引いていたけど、僕にはなぜかれが興奮してるかその時はわからなかった。

そして、地下鉄に乗ってクイーンズの「Hunters Point Av」で降りて、どこかに向かって歩いていた。

「Kei!ココが「5 Points」だよ!」

当時の僕は言葉を失った。この「5 Points」は廃墟ビル全体がグラフィティーで埋め尽くされたストリートアートの最高峰の場所だった。

どこを見ても芸術性が高いペイントがされていて、「こんなものがよく描けるな...」って言葉を失った。呆気にとられてボーと見ているとアーティストの人が音楽を大音量で流しながら、下書きを書いていた。そんな彼を見て「あ〜、好きなことを仕事にしているって良いな...自分の人生とは大違いだな」ってフッと思った。だけど、同時に「僕もストリートアートを描きたい」って本気で思った。

今までは母さんが勧める道を歩いてきた僕が生まれて初めて自分の意思で自分の人生の道を決めた瞬間だった。

【狂ったデザイナー集団との出会いが人生を変えた】

日本に戻った僕はCrazyだった。インプットしたことが多すぎて頭の中は整理がついてない状態だったけど、あのグラフィティーアートを見てから「デザイン」が作りたい気持ちでいっぱいだった。

だけど、どうやってデザインを学べばいいかわからなかったのでデザイナーがいそうだなって思ったクラブに毎日足を運ぶことにした。見つけ方は簡単でお洒落な人を見つけるたびに「デザイナーですか?」と聞き歩くスタイルで3ヶ月毎日色々な人に声をかけた。

時には酒をかけられたり、殴られたこともあったけど僕はデザイナーに出会いたい気持ちでいっぱいだった。そして、奇跡的に3ヶ月後に今でも仲良くしてもらっている師匠達と出会った。

彼らは「mingle」というスケーターとBMXのライダーが作ったクルーでオリジナルブランドを作って、繁華街に自分で店を構えてながら、定期的に自分たちでイベントをやっていたクリエイター集団だった。僕はそのイベントにたまたま遊びに行っていた。彼らがデザイナーと知った瞬間に「デザインの仕方を教えて欲しい!」と言ったら「次の日にオフィス来たら教えてあげるよ」と言ってくれたので朝方まで彼らと一緒に遊んで、昼からの約束だったけど朝から近くのコンビニで彼らが出勤するのを待っていた。

そして、彼らが昼過ぎに来たのを見計らって店に行くと「マジできたのか、こいつ」と少し嫌そうな顔をされた。彼らも昨日は酔ってたからあまり覚えてないみたいだったけど、無邪気に色々質問する自分の話を聞いてくれた。

話してる途中で「そういえばKeiはパソコン持ってるの?」と聞かれたので素直に「お金がないから持ってない」と答えると「デザインはAppleのパソコンでやるのが主流だからアコムで40万借りて、20万でパソコン買って、残りの20万でアパレル作って、40万の売り上げ出して、アコムにお金を返そう。簡単なことだよ。」とアドバイスをもらった。

当時の自分もアホで「なるほど」なんて思いながら、アコムで40万借りて購入したMac BookにPhotoshopやIllustratorなどのデザインに必要なアプリをインストールしてもらって、残ったお金でパソコン上でデザインを作る方法を教えてもらい、オリジナルTシャツを作ることにした。

今考えたらど素人のデザインがプリントされたTシャツを100枚以上も在庫持つ怖さったら半端ない。

実際にダサすぎて全く売れず、初日から心が折れそうになったけど借金は残ったまま。これをなんとか売り切るために夜な夜な飲屋街を徘徊して酔っ払いに「似合いますね〜」なんて上手く言って手売りで売り歩いた。そして、数ヶ月でアコムに借りお金を全額返した。あれは奇跡だった。

「僕にはデザインのセンスなんてないんだな...」と落ち込んでいる横で先輩たちは新しいデザインのアパレルを作って、夜は仲間達と一緒に酒飲んで騒いでいた。そんな彼らの姿が本当に羨ましくて、時間がある時はちょっとでも彼らの近くにいたくて週に5回くらいお店に顔を出していた。そんなある日、先輩に聞かれた。

「KeiはWebとか興味ないの?」

【チャットヲタクのパソコンスキルが活かされる】

先輩はアパレルの仕事をしながら、Webの仕事もやっていた。ちょうどその話をしたときはズワイガニの蟹をトレースしていた(笑)

彼は僕に「Webは今からの時代絶対来るから勉強したほうがいいし、今も時給は普通の仕事に比べて高いからいいよ」って言ってた。

僕は高校時代からブレイクダンスの動画を見つけるのにパソコンを使っていたけど、それとは別で誰かと会話がしたくてヤフーチャットに毎日ログインして話していた。長いときは1日15時間とかやってた(笑)その話を聞いた先輩が「書くの好きならブログやれば?」と勧められて、生まれて初めて有料のレンタルサーバーとドメインを取得して自分のブログを開設した。

生まれて初めて触るブログは僕にとってはオモチャだった。何かよくわからない記号を入れると文字が太くなったり、色が変わったり...この時初めて自分はWeb言語(HTML/CSS)を知って、この魅了にハマった。

少しブログを触り始めてから「Webの仕事できるんじゃね?」って気軽な気持ちでWebに関係する仕事を探したら...時給が想像以上に高い!

だけど、素人の自分を使ってくれる会社は求人媒体では見つからず、諦めかけた時に「パソコン触れるなら未経験者OK」と書かれた1つの会社を見つけた。この会社の社長さんこそ、自分を25歳の時に始めてアジアに連れてってくれた社長の「Iさん」だった。

【嘘から始まった僕のWebの仕事】

初めて僕を雇ってくれた「Iさん」は自分の中で未だに憧れ続ける先輩の1人で、当時彼の会社は中国で買い付けたものをオンラインで販売している小さな3名の会社を経営した。当時は商品写真を加工したり、Webサイトの更新などできる人を探して、面接の時に「HTMLとかCSSできる?」と質問をされたけど、出来なかったけどなんとかなると思って「出来ます!」と答えた結果、僕を信用して採用してくれた。

だけど、アルバイターとして入った初日に僕のポンコツぶりはバレた。

僕は社長が思っていた以上に使えなかった。そんな自分を彼は会社のお金を使って僕をパソコン教室に通わせてくれた。本当に今考えても彼がとった行動は普通じゃできない行動だからこそ、彼へは感謝しかない。

最近当時の僕の話を彼としたときに「あの頃はKei君本当に何もできなすぎて、このままじゃクビにしないといけないと思ったけど僕の性格から首にすることもできなかったし、Kei君には頑張って欲しかったからパソコン教室に通わせたんだよ」と言われた(笑) だけど、あの頃のIさんの判断が今の自分を作ってくれました。本当に感謝です。

彼の仕事は結局スポットの仕事も合わせると25歳までやることになるのだけど、その間もアルバイターの立場を利用して毎年ニューヨークに「現実逃避」のために行っていた。

いや、僕には「ニューヨークに毎年行く」ことくらいしか誇れるものがなかったというのが本音だった。

【現実逃避でニューヨークに7年間毎年通う生活】

僕のニューヨークは特に目的があったわけじゃなかったし、英語が話せるわけでもなかった。だけど、毎回2ヶ月以上ニューヨークにいたから現地人みたいな生活をしていた。「さみしくないの?」と聞かれたこともあるけど日本では肩身がせまい自分も誰も知り合いがいない世界で歩いている時間が全てから解放された気がして、大好きだった。

旅費はどうだったかというと毎回クレジットカード2枚と現金が数万円で当時はお金がなかったからクレジットカードで支払って、その請求額をリボ払いに変更して1年かけて返して、またニューヨークに行く生活を7年送った。

たまに知り合いに「何で毎年ニューヨーク行くの?」と聞かれると「ニューヨークが好きなんだよね」と言っていたけど、さっきも書いた通り、これくらいしか誇れるものがなかったし、自分が社会の底辺と思いたくないがための現実逃避だった。

この現実逃避も24歳になると、現実を見ないといけない場面が増えた。

一番辛かったのは冷静に今までニューヨーク旅行で使った金額を考えた時だった。多分当時で1回30万と考えて7回だから210万円以上は使っていたが、手元に残っているものは思い出とリボ払いの通知書だけ。社会ではただの底辺フリーター。そんなタイミングでIさんから「中国出張に一緒に来ないか?」と声がかかった。彼に協力してもらえば人生が変わる気がした。そして、2012年2月の記録的な大雪の日に彼の家の近くのマクドナルドで中国行きのチケットを買って、ウキウキしながら自転車で雪の中帰った。

この帰り道にトラックと事故をした。

【24歳でトラックと事故して顔面骨折9箇所】

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本当に死んだと思った。自分は無人の止まってるトラックに顔から突っ込んだ。結果顔面骨折8箇所で一度死にかけた。麻酔が切れて目開けた時に母さんが号泣してるの見て、すげー悲しくなった。

「自分、何してんだろ...」

病院のベットの上でパンダみたいな顔になってる自分を見て、高卒で実家暮らしで正社員経験も貯金も何ない自分に未来は見えなかった。この時のことは「 僕が「死にかけた」体験から学んだこと」で書いてるので興味ある人は読んでください 。

(関連記事:僕が「死にかけた」体験から学んだこと

当時の自分は自分の人生を変えたくて必死だった。だけど、変え方がわからない僕はたまたまお見舞いで持って来てもらった本を手にとった。

この時に出会ったのが移住静香さんと岡崎太郎さんの本だった。

生まれて初めて集中して黙々と数時間本を読み続けた。その本の中で「朝3時間早く起きると人生変わる」って書いてあった。「確かに普段よりも起きてる時間が長くなるから、人生変わるかも」と安易な考えで始めたが、当時は人生を変えたくても、人生をかえる方法がわからない自分は彼らの言うことを信じて、行動するしか道はなかった。

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それから岡崎太郎さんの「夢は、無計画のほうが実現する」の中に「会いたい人に会いに行く!」と書いてあり、彼の大ファンになった自分は彼に会いたくてFacebookで見つけて長文のメッセージを送り、短文で「ありがとう」という返信をもらった。その後も友達申請をして友達になった後に何度も彼のコメント欄に返信をした。どうしても彼に会いたかった。

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そして、知り合いがたまたま繋がっていた経緯から3人でご飯に行くことが出来た!初めてのご飯では海外のこと、マーケティングのこと、人生のことなど色々な話を伺ったことを今でも鮮明に覚えてる。この出会いがきっかけで今では岡崎太郎さんがニューヨークに来られた時にお茶したり、日本でご飯をご馳走になったりと面倒を見ていただいています。本当に毎回色々な気付きを与えてもらいありがとうございます。

そして、この事故をきっかけに「勉強をする大切さ」「人は簡単に死ぬ」ということを学び、毎日朝活と読書をするようになりました。

退院して1ヶ月が経った時にパソコン教室に行かせてくれたあの社長の「Iさん」から「前行けなかったアジア視察に一緒に行こう!」と声をかけてもらいました。その話をもらったときは自分が憧れている人の海外での仕事姿を見れることが楽しみでしょうがなかったのを覚えています。

そして、この旅がきっかけでまた人生が変わるのであります...

続きは「 普通の人が経験しないようなジェットコースターみたいな人生だったので紹介します(後編) 」で書きます。

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18歳でNYにハマって26歳でニューヨーカーと英語力ゼロで超速婚をしたけど30歳で突然の離婚からNYでホームレスを経験したNY在住7年目の少年K。ニューヨーカーから学んだ話を中心にnoteを書いています。